●最高のダークホース

1991年に来日した時のツアーパンフレットです。イイでしょ!僕の宝物です。

コレも高校生の頃アルバイトのお金で買ったビートルズの本です。隅から隅まで読み漁った記憶があります。おかげで今でもビートルズのオタク系の事が変に答える事が出来たりします(笑)VESPAのレストアより詳しかったりして・・・多分これらの本は現在、絶版になっているのではないでしょうか?ちなみに僕は高校生の頃『ビートルズ・シネ・クラブ』に入っていて、頻繁に復活祭に参加していました。もう20年近く前の事ですが、まるで昨日の事のように覚えています。

ポールの名曲であまりにも有名な『ペニーレーン』です。観光客用に無理やり誇張して“PENNY LANE”と書いてありました。それもそのハズ、元々はプレートだったそうですが、何度貼ってもファンが来て持ち帰ってしまうそうです。(多分、僕も持ち帰ると思います)それでも気分はワクワク!海外ではあまり記念写真を撮影しない僕もここでは何枚も何枚も写真を撮りました。正にビートルズ・マジック?

先日、大掃除をしていたらビートルズのミュージックテープが出て来ました。CD&MD世代にはピンと来ないでしょうネ。僕たちが中学生の頃はコレが定番、お小遣いを貯めて買った記憶があります。しかもコレは東芝EMIのオリジナルカセット!価値はないでしょうが・・・最近、お店の車で使用しています。ヘイ・ジュードを聞きながらVESPAを運ぶ毎日です。余談ですが、ついついアクセルを踏んでしまう曲って何だと思います?・・・ 答えはレッド・ツェッペリンのロックンロール!『タツツタツツタン・タツツタツツタン』って言うイントロのドラムを聞いた瞬間、アクセルをベタ踏みにしてしまう僕です。その点、ヘイ・ジュードなら安全運転する事間違い無しですネ(笑)

リバプールのBRステーション『ライム・ストリート・ステーション』です。ロンドン『ユーストン・ステーション』から約3時間です。ちなみにリバプールはイギリス第2の貿易港、かの有名なタイタニックもこの地で建造されたんですヨ。更に1974年に新しく新設されたMerseyside(マージーサイド)州の州都という事もお忘れなく。 もっともリバプール=ビートルズと答える人の方が圧倒的に多いでしょうが(笑)

ライム・ストリート・ステーションの真向かいにあるのが、『聖ジョーンズ・ホール』です。ギリシャ神殿を彷彿させるたたずまいで、屋根にたなびくユニオンジャックが誇らしげです。ジョージが亡くなってからほどなく、リバプールは全て半旗になったそうです。

リバプールでは毎日『マジカル・ミステリー・ツアー』と題してビートルズゆかりの地を回ってくれます。更にその参加チケットの名前は“TICKET TO RIDE”(涙の乗車券)!シャレが利いているでしょ、その上、各地にはマジカル・ミステリー・ツアーのカラ-リングがしてあるバスで回ってくれます。もう最高!旅なれた僕もココばかりは興奮の連続でした。

 

右側のドアNo12の少し明るいレンガ色の家がジョージ・ハリソンさんの生家です。 1943年2月25日にここで生まれました。僕が行った時には親戚の方が管理されているとの事で、初老の女性の方が出て来てニッコリされていました。

皆さんもご存知のとおり、元ビートルズのジョージハリソンさんが癌の為、亡くなられました・・・

 2001年11月29日午後1時30分(日本時間30日午前6時30分)ロスの友人宅で妻のオリビアさんと息子のダニーさんに看取られて、安らかに息を引き取ったそうです・・・
 亡くなられた場所ですが、公式発表のロスの住所自体が存在していなかったらしく、一時期、色々な情報が乱立したようです。これは仕方ないですよネ、ジョージが息を引き取った場所は間違いなく聖地になります。心無いビートルフーリガンの為にその聖地が荒らされ兼ねませんからネ。
 亡くなってまでも、世間を翻弄するなんてのは、さすがジョージ!脱帽です。

 確か、彼が生まれたのは1943年2月25日・・って事は亡くなった年齢は58歳! 若い・・あまりにも若すぎる・・天才は短命なのか?それとも短い時間に凡人の数倍も生きてしまったって事なのか?
 昨今、人生80年なんて言われている時代、カーテンコールを降ろすにはあまりにも早すぎる、ビートルマニアの僕は残念でなりません。

 そう言えば1991年にMrスローハンドこと“エリック・クラプトン”と一緒に来日した事がありました。僕のまわりにも“自称ギタリスト”や“自称音楽通”と称する“やから”も少なくなく、ど真ん中の2列目のチケット死守して、みんなでこの歴史的なツアーを見に行きました。
 LIVEが始まる前まではみんな『クラプトンのブルース聞けるかな?』とか『ブラッキー弾くのかな?』とか、ほぼ100%クラプトンの話題で持ちきりでした。 なんだかジョージはクラプトンのオマケみたいに・・・

 でも実際は違っていました!オープニングの一発目にいきなり『I WANT TEEL YOU』が始まったら、さあ大変!さっきまで『クラプトン!』って騒いでいた連中が、いきなり『リボルバーからのナンバーだ!』『ジョージだ!』『ビートルズだ!』もう会場は割れんばかりの興奮状態、これだ、これこそがジョージの持っているカリスマ感なのだと、改めて感じずにはいられない瞬間でした。

このようなツアーガイドマップも必ず買ってしまいます。ファンなら当然欲しいでしょ!

 大興奮&大満足な2時間のLIVEが終了後、車で帰宅途中の事、助手席の友人が『ビートルズないの?』って言うので、僕は『アビイロードのテープならあるヨ』って言うと、さっきまでクロスロードを聞いていた人間が『サムシングかけろよ!』だって(笑)
 ジョンやポールの影に隠れて、いつもダークホースといった感じのとらえられ方をして来たジョージですが、彼なくしてビートルズは絶対に成り立ちませんからネ!

 最近のアルバムでもビートルズナンバーを取り上げている3大ギタリストのひとりとして有名なジェフベックは『ビートルズの良さはよく分かる、でもギターは僕がするべきだった』とか言っていましたし、ジミーページに至っては『ジョージのギターは冗談そのもの』なんて事を言われていますが、これは愛すべきジョージに対するイギリス人独特の敬愛ジョークなのでしょうネ。こんな言葉からもミュージシャンの間でもいかにジョージが愛されていたかが伺い知れますネ。

 ここでよく考えてみましょう!もし『ロールオーバー・ベートーベン』をジェフベックが弾いていたらどうします?きっと普通の人ではコピー出来ないようなイントロになっていた事でしょう!もし、『キャント・バイ・ミー・ラヴ』をジミーページが弾いていたらどうなったと思います?あのシンプルな曲にギブソンの12弦ギターはいらないでしょ!
 ネ、だからビートルズのリードギターはジョージ以外、誰が考えられますか? 彼なくしてビートルズは成り立たない訳・・・
 あの、エピフォン・カジノの蚊が鳴くような細い旋律こそが前期ビートルズ!60年代の真骨頂!あ〜ジョージ最高!

 さて、もう皆さん知らない人はいませんよネ?ジョージと言えば出身はリバプール、僕も仕事の合間を見て1度だけ訪れた事があります。ほんの少しですが、リバプールの写真を記載しておきます。ご覧下さい。

 
こちらはジョンの名曲『ストロベリー・フィールズ・フォーエバー』の舞台といわれる“ストロベリー・フィールズ”です。イチゴ畑ではなく『子供の家』と言う施設の名称です。ジョンのおばさんミミさんの家から非常に近く、毎年行なわれるガーデン・パーティーを子供の頃のジョンは楽しみにしていたそうです。勿論、今は立ち入り禁止!世界中から来たジョンのファンのメッセージで一杯でした。そう言えば何年か前に発売されたビートルズの“新譜”『フリー・アズ・ア・バード』のプロモーションで、若かりし頃のジョンとストロベリー・フィールズが登場するシーンがあります。ご覧になった方も多いと思いますが・・・僕はあのシーンは涙が出る程感動しましたヨ。

 このコーナーではVESPAと全く関係ない事を書いてしまいましたが、VESPA乗りはビートルズ・ファンも多いはず。うんうんとうなずきながら読んで頂ければ幸いです。最後になりましたが、ポールマッカートニーさんのコメントをご紹介させて頂きます。

「途方もない悲嘆に暮れています。彼が長い間、病身であることは知っていました。彼は愛すべき友人で、とても勇敢な男で、すばらしいユーモアのセンスを持っていました。彼は本当に私の可愛い弟だったのです。ジョージの事は生涯忘れません。彼は私の親愛なる、本当に美しい人間なのです。ともに過ごした美しい日々をおぼえています。これからもそのように彼の事を思い出したいのです。なぜなら彼がそれを望んでいるからです。すばらしい友人でした。人間的な愛に満ち、おろかな行動を無視できない人でした。彼は偉大な人間です。彼の死はとても惜しまれることでしょう。」

僕からも一言・・・ ありがとう、ジョージ・・・ 謹んでご冥福をお祈り致します。