『沖美町』 に入り、『三高砲台跡』 への登山林道入り口付近で、超ノッポな鉄塔 ? (たぶん・・・)に遭遇・・・
見上げると、首が痛くなりそう(笑)。

海の向こう側が広島市内になります。思えば、遠くへ来たモンだ・・・
ツーリングの醍醐味ではあります。


『南部砲台跡』 です。
重厚なレンガの建物が印象的です。
恐らく、火薬庫ではないかと推測されます。
『1890年代』 に施工されたモノと言う事を考えれば、かなり良い状態で保存されています !

よく見ると、レンガの隙間には補修の跡が見受けられます。きちんと、補修、管理されていると言う事が伺い知れます。


『南部砲台跡』 内で、 『林道作業場』 と言う看板があったので、行って見ました。
で、行って見てビックリ ! よく戦争映画とかで見る、人が何人もスッポリ入いれそうな溝が、かなり長い距離に渡り掘ってありました。

この溝の部分で、外部から見えないような状態で、作業をしていたのでしょうか ?? 謎が深まります・・・

コノ穴、何だと思いますか?
実は内部が空洞になっている会話用の穴なのです。この穴は、砲台の各所につながっていて、ここからしゃべる事により、場所を移動する事なく、会話が出来る斬新なシステムなのです。

戦闘中の危険な移動を避け、伝達事項を円滑に済ませると言う、なかなかのアイデア品です !




『北部砲台跡』です。
マジで広い ! しかも、キレイに整備されているので、大感激です。

何だか、映画に出て来そうなロケーションで、カメラ好きな方にもオススメです。


『兵舎跡』 には、『北部砲台跡』 から行く事が出来ます。
ご覧のような長い長い階段を下りた先に 『兵舎跡』 がある訳ですが、なかなか、この石造りの階段も魅力的です。

とは言え、登り下りは、少々キツイと言うのが本音です (笑)。


『弁慶岩』 は 『サンビーチ おきみ』 と言う施設の中にありました。駐車場の一角にある為、すぐに分かると思います。

元々 『弁慶岩』 が最初からあり、その後ビーチが出来て、施設が出来て、そして駐車場が出来て・・・
見た所、そんな感じがしました。
少々、窮屈そうで、かわいそうです・・・


『がんね鼻砲台跡』
『三高砲台跡』 からVESPAで走る事、20分位の場所に、この地域では一番最初 (1898年 = 明治31年) に設置された 『がんね鼻砲台跡』 があるので、行ってみた所、残念ながら、
立ち入り禁止 !

写真内、右の小高い山の上に、その砲台跡が あるそうですが、勝手に入る訳には行かないので、今回は諦めました・・・
 

て、このページでは、今回のツーリングの目的地、
『三高砲台跡』 をご紹介したいと思います。

実は、出発前に色々と検索して、地図で場所を見て調べたりはしたのですが、これと言った詳しい情報を得る事が出来ず、結果的に、今回もほぼ、“行き当たりバッタリ”と言った感じになってしまいました(苦笑)・・・

取りあえず、事前情報としては、現在、『三高砲台跡』 は、『砲台山森林公園(別名 = 創造の森)』 と言う名前になり、整備されていると言う事だけ・・・

とは言え、行けども、行けども、案内看板を見る事が出来ず、少々不安になり、地元の方に道順を聞いて、ようやく、その 『三高砲台跡』 への登山林道を見つける事が出来ました・・・(苦笑)。

右上の写真、A方向を 『VESPA 50S』 で登って行くと、程なく、『林道砲台山線』 と言う看板が出て来ます。この時点で初めて、道に迷っていないと言う事が確信出来ます(苦笑)・・・

看板をご覧頂ければお分かりのように、『5700m』 にも及ぶ、かなり長い登りのワインディング・ロードが続きます。
ちなみに 『三高砲台跡』 は 『標高401.8m』 の場所にあるとの事ですから、結構、高い場所ですね。

僕が行った時は、登山林道のあっちこっちで崖崩れを起こしていて、うかつに 『VESPA』 で近寄る事が出来ない状態でした。

さて、なかなか道のりは大変でしたが、無事に 『三高砲台跡』 に到着する事が出来ました。ここで、少し、この砲台について、ご紹介しますね・・・

ここは、『1898年 (明治31年)』 から 設置された 『がんね鼻砲台 (三高砲台の近郊にあります。)』 や 『鶴原砲台』 と同時期に設置された、 3箇所の砲台施設のひとつになります。
ここも、『大久野島』 の砲台と同じように、『広島市』 や 『呉市』 の防衛の為に設置された物ですが、特にここの場合、『軍港の呉市』 へ向けて入港する、バルチック艦隊を阻止する意味合いが強かったそうです。
とは言え、『1919年 (大正8年)』 に、設置以来、一発も発射されることなく、ここ 『三高砲台』 は廃止され、歴史の表舞台から消えてしまいました・・・

ところで、この 『三高砲台跡』 は 『南部』 と 『北部』 のふたつに分かれており、林道を登り、まず最初に現れるのが、『南部砲台跡』 です。こちらは比較的小さく、多少、荒れ果てている感じです。

長い長い登山林道を登って行くと、まず最初に 『南部砲台跡』 の看板が出来て来ます。道は狭く、車では厳しいです。『VESPAで来て大正解!』 史跡巡りは 『VESPA』 に限る? (笑)。

『南部砲台跡』 の火薬庫の中から撮影した1枚です・・・
『Ocean Colour Scene』 の 『marchin' already』 の雰囲気を狙ってみました (笑)。
いかがでしょうか?・・・

実は、ここ、『三高砲台跡』は、総面積が日本最大規模の砲台跡との事・・・
正直、『南部砲台跡』 は、驚く程の規模ではなく、肩すかしを食らった感じでしたが、さらに少し登っトコにある 『北部砲台跡』 の大きさには驚 ! 実際、見てビックリです ! マジで広い・・・
『ひろ〜〜〜〜〜〜〜ぃ』って感じです(笑)。

『南部砲台跡』 の看板から、100m位登ると 『北部砲台跡』の看板が出て着ます。この看板からさらに50m程度坂を登ると、もの凄く広い 『北部砲台跡』 に到着します。最後まで 『VESPA 50S』 で行く事が出来ますよ。

しかも、この辺り一体は、『1997年( 平成9年)』 に、『砲台山森林公園(創造の森)』 と言う名目で、整備されているので、とても、キレイなのです。
日本最大級の規模の上、キレイに整備されているので、本当にオススメです。(←史跡マニアにですが・笑)・・・
実は、あまりにも、この場所が気に入った為、後日、僕が製作している 『VESPA&モデル』 の写真集 『Blue Sky Factory』 に記載する為、ここで、撮影を行った程です!
本当にロケーションが最高な場所と言えます。

また、このエリアには 『兵舎跡』 もあり、こちらも当時の重厚な石造りの建物を、キレイにリビルトして、見学出来るようなっています。
『兵舎跡』です。よく“レストア”されており、当時の外観を残し、ほぼ全面改装した感があります。
センス抜群の建物です。勿論、『Blue Sky Factory』 の撮影で使用させて頂きました。
マジで見る価値のある建物ですよ。

いかがでしたでしょうか ? 今回は驚く程広く、そして丁寧に整備された 『三高砲台跡』 をご案内させて頂きました。
やはり、史跡は魅力的ですね !
ところで、『呉市』 に戻る途中、来た時とコースを変え、同町内にある 『弁慶岩』 を見て帰る事にしました。

『VESPA』でのツーリングは小回りが利きます。それは、最大の魅力だったりします。今回は本当にその事を実感した1日でした。

『弁慶岩』です。
『鎌倉時代初期』 の事、ご存知、『武蔵坊弁慶』 が、この岩を、対岸の 『宮島』 にある、『弥山』 の山頂から、沖の 『平家軍船』 に向けて投げたそうですが、 力余って、ここまで届いたと言われています。
以後、この場に鎮座し、弁慶をしのぶモノとなっているとの事・・・
ヨタ話もここまで来ると、立派です。まぁ、笑って許せる方は、ご覧になられるのも悪くないと思いますが・・・


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ようやく、『三高砲台跡』 へ登る、登山林道を発見したのですが、三叉路の真ん中に看板がある為、どの方向に行っていいモノやら・・・(苦笑)。
かなり不親切な看板です !

結果、看板を正面に見て、A方向へ行くのが正解・・・
『三高砲台跡』へ行きたい方は、お間違えの無いように!!


『南部砲台跡』 です。
めったに人が訪れる事が無いようで、多少、荒れ果てた感は否めません・・・
枯れ草が沢山積もり、歩くのも大変です。

午後の太陽が高い時間帯でしたが、山の中はとても静かで、こんな場所に1人でいるのは、少し怖いと言うのが本音です。
でも、この言いようのない緊張感が、結構、好きだったりします(笑)。


『南部砲台跡』『林道作業場』 から見た瀬戸内の景色です。
砲台があった場所だけに、眺めは抜群です。

いつも思いますが、こう言った戦争史跡から見た、キレイな景色は、どこか切ないモノですね・・・


『北部砲台跡』です。
キレイに整備されているだけではなく、丁寧な案内看板も設置されています。

下の写真の丸い窪みが、砲座ではないかと推測出来ます。かなりワクワクする場所です。


後日、写真集用の撮影を行いました!
この 『三高砲台跡』は、本当にロケーションが最高です。

重厚な石造りの雰囲気とポップなカラーのVESPA、それに白いビキニのモデルさんのコラボレートは、絶妙にマッチしました。

かなり先になるとは思いますが、『Blue Sky Factory』 のVOL-4で記載したいと思います。


『兵舎跡』 にはイカした外灯が・・・
『へぇ〜、当時のモノか・・・』 って、目を凝らして見てみると、外灯のフレームに誇らしげに、『Panasonic』 の文字が (苦笑) 。

『1997年』 に整備された際、取り付けられたモノだと思います。
センスが良いと言うか、むしろシャレが利いていて脱帽ですね。



『弁慶岩』 から見た瀬戸内海の様子です。
この岩を中心に整備された感が否めないビーチです。

岩の前に大きな釜があります・・・
『石川五右衛門』 なら理解出来ますが、なぜ 『弁慶』 なのに 『釜』 なのでしょうか ?
もしかして、『弁慶』 ってオカマ?
“怪力のオカマ”って、かなり怖い・・・(寒)。

ちなみに対岸が 『宮島』 です。あそこから、オカマの弁慶が、なやましいウチマタのフォームで、この岩を投げたとしたら、マジで怖いですね (笑)。