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見上げると、どこまでも高く、見通すと、これまたどこまでも深い、『竹林』です。明かりの無い時代、『神隠し』
と言う人間心理が生まれたのも、分かるような気がします。
平成の世の住人の僕でさえ、この静寂な光景は、少し恐怖さえ感じましたから・・・
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最近は 『和洋折衷』 にハマっています。『LAMBRETTA』 と 『竹林』 も、かなりマストなロケーションです。近日、ビキニ撮影か、もしくは
『かぐや姫のコスプレ』 を決行しよう !(笑) 。
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『持ヶ峠』
の集落は、予想以上に過疎化が進んでいて、空き家がそのまま廃屋になっている、悲しい光景を沢山見ました。
写真は、昔さながらの建屋で、どうやら手前が離れのお風呂だったようです。静かな山村で入るお風呂って、憧れますね〜
悪ガキが、気になる同級生の女の子に、学校で
『お前、昨日8時頃お風呂に入っていただろ〜』
って言う、ほのぼのした青春の会話をしたに違げぇねぇ・・・(江戸っ子風)
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校舎前には小さな花壇があり、もの凄く手入れが行き届いていました。 ご覧のとおり、花、花、花・・・
サスガ、お年寄りの多い集落ならではの、温かみのある光景です。
ちなみに、お年寄りが多いと言うか、この集落で一番若い方でも70代との事・・・若者がいないと言った方が正解かも
? しれませんね (苦笑)
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校庭側の校舎の側壁には、始業用のベルが残っていました。定番の 『ウェスト
ミンスター チャイム』 ではなく、『ベル』
と言うのが時代を感じさせます。
きっと職員室から先生が、アナログ時計を見ながら、手動で操作したんでしょうね。
『今日は天気がいいので、10分休憩時間を延ばします ! 』 とか、あったと思いませんか ? (微笑)
。
ちなみに、この外観からですと、今でも鳴るのではないでしょうか
?
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木造校舎の内部です。屋根の部分は、大きな改築が行われた形跡が見受けられます。 でも、当時の窓ガラスを残してくれているのは、ニクイですね
!
全面に内部が見えない擦りガラスを使用して、小学生の目線の一枚だけを、透明ガラスにしてあると言う、凝った仕様には脱帽です・・・ | |
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さながら、『The Long And Winding Road』 になってしまった 『持ヶ峠』 へのツーリングですが
(笑)、山頂付近の平坦な道で、牧歌的な木の看板をいくつか過ぎた辺りから、突然に下り始めます。さぁ、いよいよ、 “リアル持ヶ峠”です。まず、とても神秘的な
『竹林』 が出迎えてくれます・・・
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凄いでしょ ! なかなか言葉では形容し難い光景です。大げさではなく、神々しい (こうごうしい)
と言っても過言では無い程の 『竹林』
です。『LAMBRETTA』 の大きさから判断して頂ければ、その様子がお分かり頂けると思います。
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いかがでしょうか ? 凄い 『竹林』 でしょ
! 最近、僕の住んでいる近郊では、まず、これだけ立派な 『竹林』
を見る事はありません。
小学校の頃、ここまで大きくはありませんが、『呉市』 にも、それなりの 『竹林』
があったと記憶していますが、最近では、全て造成され、住宅地になってしまいました・・・
多感な子供の頃、こんな神秘的な 『竹林』
に出会う機会があれば、色んな事が、良い方にインスパイヤされるような気がします。街中では絶対に無理な事なので、少々残念ではあります・・・
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こちらは 『竹林』 の内部です。撮影場所は、少し窪みになっている部分の為、『笹の葉っぱ』
が積もり、それが枯れて積み重なって、『ベージュ色のじゅうたん』
を敷き詰めたように見えます。竹の淡いグリーンとのコントラストは最高で、大げさな話ではなく、本当に感動モノです。もし、あなたも近郊に
『竹林』 があれば、是非、行って見て下さい。僕の感じた事を体感出来ると思います。
あ、そうそう、言い忘れましたが、『竹林』
って山奥に多いでしょ、『LAMBRETTA』 ではなく、車で行かれた方がイイですよ (体験者談・笑)
| さて、神秘的な 『竹林』 を抜け、ほんの1〜2分程度、急な坂道を下ると、今回の目的地
『持ヶ峠小学校』 のある、『持ヶ峠』 の集落へと入ります。『小学校』 とは言え、すでに廃校になって久しいので、『持ヶ峠小学校跡』
と記載した方が正解ですね・・・
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『持ヶ峠小学校跡』です。 『昭和40年代後半』 には、既に 『廃校』 になっていたとの事・・・ 『現在』 は
『自治会館』 として使用されており、役目は代わりましたが、現役の建物です。
“現役続行”
に際し、何度か手を加えられているようで、屋根も外壁も、雰囲気を残したまま、今に至っていると言った印象を受けます。非常にコンパクトで、好感の持てる
『木造校舎』
です。
とは言え、山深い周りの景色が、雰囲気作りの後押しをしている事は、言うまでもありませんが・・・
| ところで、偶然、近所で農作業をされていた、おば〜ちゃんがいらっしゃったので、その方にお断わりをして、木造校舎の内部を、少し撮影させて頂きました。
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廃校以来、35年以上経過しているのに、非常に状態が良く保たれています。『持ヶ峠』
の方が、大切にされているのがうかがえます。
下駄箱や足元のスノコ等、懐かしいですね。二段しか無い廊下へ上がる階段も、小学校らしくて、とても好感が持てます。素敵です
! 僕が通っていた小学校は、すでに鉄筋で、床もタイルだったので、こんな温かみのある小学校を見ると、羨ましいですね・・・
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さて、いかがでしたでしょうか ? 『山口県の桃源郷』
(笑) とも呼ばれる、『持ヶ峠 (もちがたお)』
は・・・ 僕自身も最新のテクノロジーを駆使して、皆さんに情報を伝え、共有し、仕事では僅か10時間でロンドンまで “ヒトっ飛び”
何て、生活を続けています。
便利でシステマティックな恩恵に与っている反面、どうしても、田舎の暮らしに憧れてしまいます。でも、最近よく感じます。テクノロジーには落とし穴がつきものだと言う事を・・・
便利になった反面、僕もあなたも、大切な物を失っているような気がしませんか ?
仕事の合間に訪れる、『携帯電話の電波も入らないような田舎では』、
いつも、色んな事を神妙に考えてしまいます。
とは言え、鳴るハズの無い携帯電話の音が鳴ったような錯覚に陥ります(圏外なので、鳴る訳ないのに・・・)。 この様子じゃ、僕にはまだまだ、田舎暮らしは出来そうにありませんね
(苦笑) 。
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『竹林』 の中には、『林道沼田原線』
と言う、時代劇さながらの木の案内看板がありました。
なんだか、江戸時代の頃から、さほど変化が無いように思えますが・・・ 皆さんもそう思いませんか
? (笑)
。
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『竹林』
では大きなタケノコの姿も・・・ 後から聞いて、ビビッたのですが、頻繁にイノシシが出没して、タケノコを食べるそうです。写真を撮りに行ってイノシシに襲われたんじゃシャレにならないですね・・・
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こちらは民家の横に置いてあったもの凄い昔の農機具です。
『ダイガラ』
と呼ばれる米を精米する器具で、ご覧のとおり、シーソー状の形状をしており、片側に人が乗り、自重で器具をシーソーのように駆動させて使います。
『歴史民族資料館』
とかでは見た事がありますが、民家の横に、フツーにあるのには驚きました。
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恐らく、校舎の裏の囲いに使用されていたであろう、『石柱』
が、少々傾いたまま、昔を伝えていました・・・
石の側面に穴が開いているので、この部分に鉄のパイプが入り、校舎裏手の囲いを形成していたものと思われますが、経年劣化の為、『石柱』
だけになったようです。
『石柱』 その物に “時代が付いて”
なかなか感じの良い、ある意味オブジェ的な魅力が出ていますね。
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学校の奥手 (山壁側)
にはプールもありました。競技の為と言うより、レクリエーション的な要素が強いですね。 当時、この山間から小学生が海に行くなんて、大変だったんでしょうから・・・
そう考えると、この
『持ヶ峠小学校』
にプールを造った当時の関係者の方の英断には、拍手を送りたいですね。 ちなみに、僕が行った時にはカエルが泳いでいました・・・
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こちらの部屋には、使わなくなった木の机や椅子が積み上げてありました。 教室で見る窓の逆光は、何となく、小学校の放課後の、掃除の時間を思い出したりしませんか
?
(微笑)・・・
廊下の窓同様、こちらも真ん中だけ透明になっているガラスが組み込まれていました。見ているだけで、なんだか、嬉しくなってしまいます・・・
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