|
『角島』 でのお食事といえば、 『レストラン』 や 『特産品売場』
等がひとつになった施設 『しおかぜの里 角島』
です。
キレイな建物で、食事も美味しく、お土産物も充実していますが、何ぶん観光地としては 『角島』
は,、『西の横綱級』 です。『観光客』 の多さたるや、想像を絶するモノです。僕は人ごみに弱いので、少し 『人に酔って』
しまいました。
| |
|
『角島灯台』
の料金所です。灯台に合わせた白い建物が好印象です。
落語風に言うと 『木戸銭』 は大人が150円、子供が20円・・・ 『え〜 ? にじゅうえん』
・・・と思いました。もの凄く斬新な 『木戸銭設定』 です。
| |
|
『角島灯台』 の内部です。『展望台』 の前の 『最後の階段』 だけは
『ハシゴ段で』 すが、そこまで行くには、写真のような 『らせん階段』
をグルグルと周りながら、上へ上へと、登って行きます。何と、105段もあります ! (煩悩より少し少ない !
)
海側には4個の窓があり、高さの違いで異なった海の景色を楽しむ事が出来ます。『灯台の可愛らしい小窓』
から見る 『大海原』
は、何とも素敵な光景です。 それとは対照的に、赤と白のコントラストの内部が斬新です。まるで、アメ車の内装のようでもあります
(笑)
。
| |
|
『角島灯台記念館』 です。『角島灯台』 のすぐ横にあります。料金は 『灯台』
とワンセットになっている為、見学の順番は 『灯台』 → 『記念館』 がオススメです。
この 『角島灯台記念館』
は 『明治8年 (1875年) 』 に 『角島灯台』 と一緒に出来た 『赤レンガ造り』 の建物です。元々は 『旧吏員退息所』
として使用されていましたが、『平成5年 (1993年) 』
に、リフォームして今の施設として、新しくスタートしました。内部には5つの部屋があり、全てに 『マントルピース』
が備え付けてあります。
現在では、『角島灯台』 の歴史だけではなく 『日本の灯台』 の歴史を詳しく説明してあり
『灯台オタク』 にはたまらないスポットと言えます。
歴史資料だけではなく、建物を保存すると言う側面から、当時の
『トイレ跡』 『暖炉の跡』 『風呂の跡』 等も残っております。
2枚目の写真は、『風呂の跡』
で、カケ湯をしているフリをする 『Sちゃん』 達です。本当に服を脱ごうとしたので、止めました (苦笑 )
。
| |
|
『夢前明神』です。 『角島灯台』 の下ほどに広がる芝生のスペース (私は
『角島灯台公園』 の一部だと思っていますが・・・)
内にある、お社の無い、鳥居だけの神社です。
磯の石を積み上げた、非常に南国チックなたたずまいをしております。
| |
|
『夢前明神』 の目の前には、大変に美しい 『エメラルド・グリーン』
の海が広がります。又の下からゴメンなさい(笑) 。
女の又に力と書いて 『努力』 。
漢字とは良く出来たモノです・・・
| |
|
『角島大橋』 を渡った頃、いいタイミングで、正午前になりました。今回、予めネットで検索しておいた 『角島』 の施設 『しおかぜの里
角島』 で、みんなで食事を取る事にしました。人数が多いので、前日、電話での予約を試みましたが、『日曜、祭日の予約はお受け出来ません』
とのツレない言葉・・・
『まぁ、何とかなるだろう・・・』 って感じで、お腹と背中がくっつきそうな位になった 『ハラペコ10人』 で
『しおかぜの里 角島』 へと、お昼ご飯を食べに行きました。
|
『しおかぜの里 角島』 でのお昼ご飯の図です
(笑)。 新鮮な海鮮料理がメインで、もの凄く豪華かつ美味です。だいたい1,500円〜2,000円程度ですので、メニューの内容を考えても、観光地としては決して高くはないという印象です。
|
さて、お腹がイッパイになり、一同、大満足の後は、『古き角島の顔』、 『角島灯台』
へと向かう事にしました。
お昼ご飯を食べた 『しおかぜの里 角島』 から、車で2〜3分の場所にあります。『角島』
に入れば、ほどなく、この 『角島灯台』 の姿を目にする事が出来ますので、迷う心配は無いと思います。
|
『角島灯台』 『平成10年』 に行われた 『あなたが選ぶ日本の灯台50選』
に選ばれましたが、その中でも美しさは、他の追随を許さず、『日本一』 と称す 『灯台ファン』 も多いとの事・・・
『灯台』
の事に関しては、全く素人の僕でさえ、この優美とも言える姿には、ただただ、ため息しか出ませんでした・・・勿論、ココは景観を含めた、全てのバランスが最高に良く、『美しい』
の一言だけでは済ますことが出来ない位、素敵な場所と言えます。
この 『灯台』 は 『明治6年 (1873年) 』
の8月に、『イギリス人』 の 『R.H.ブラントン』 さんにより、設計起工されました。その後、『明治9年 (1876年) 3月1日
』 に、日本海側の石造りの灯台として、初点灯したそうです。でも、驚く事なかれ、今でも現役で活躍中との事です。さすがに
『親切かつ紳士的なイギリス人』 はいい物を造ると関心しました。 『灯台』 のように、人の為になる文化的意識の高い物を造ると言う考え方は
『壊す事が専門のアメリカ人』 には、絶対に欠落した部分だと言えるでしょう。
ヤンキーの得意ワザは造る事ではなく、壊す事ですからね (苦笑)。
話が少々、脱線しましたね・・・ 実はここ
『角島灯台』 の灯明番教授方 (燈台守の先生) には 『灯台の建設監督』 だった 『ウィリアム・ヴァイエルス』 さんと
『ジョセフ・ディック』 さんが当たったそうです。 彼らは、何と、家族と共に 『角島』
に暮らし、『英国製レンガ積と灯台のメンテナンス方法』 は元より 『風邪の処方薬』
まで伝授してくれたそうです。
いや〜、本当に 『イギリス人』 は親切です。もしこれが 『アメリカ人』
だったら、『島の娘さんをレイプ』 し、『少年達にマリファナ栽培』
を伝授した・・・と言う、下品な歴史しか残らなかったでしょうね。
『ヨタ話』
はさておき、とにかく、その美しさだけを楽しみに行くのには、文句のない素晴らしい場所です。是非、行って見て下さい !
| 『角島灯台』 に到着してからの我々は、 『超観光モード』 にシフト !
『人気スポット』 の為、この周辺は人、人、人・・・ 『定番の家族連れ』 『少々痛いカップル』 『観光バスのおじさん&おばさんの集団』
、それに 『ミニスカ・セーラの、ニセ女子高生 (笑) 』 etc・・・ 『老若男女』
とは、まさにこの様子の事です。人間模様の観察にも、持って来いですよ (笑) 。
|
『角島灯台公園』 『角島灯台』
の周辺は、キレイに整備され、芝生が植えられております。多くの家族連れやカップル等が座って、談笑したり、お弁当を食べたりと・・・思い思いの時間を楽しまれていました。
この写真は、何故か
? 同じ方向を向く、『角島遠足・参加者』 の皆さん・・・
ちなみに 『角島』 のインフォメーションを何点か見たところ
『角島灯台公園』 とは 『角島灯台』 の一角のみの 『展示スペース』 や 『建物群』 の事を、総称して呼んでいるようですが、この
『芝生』 や 『ベンチ』 のある、憩いのスペースも、その一画なのでしょうか ?
実際のトコ、ここは 『角島灯台』
から歩いて海方向に下ると、すぐの場所です。海を眺めながら、『ボケー〜』
とするのには、最高の場所ですよ。但し、こんな場所でタバコを吸うようなバカは、海を見る資格はありません。
|
さて、 『角島灯台公園』 の次に 『最後』 に我々が向かったのは、ここのところ、『角島の新しい顔』 として、大ブレイク中
? の、映画 『四日間の奇蹟』 のロケセットとして使用された
『礼拝堂』 です。
この場所は、『角島灯台』 から、少し 『角島大橋』
方面に戻った所にあります。結果、Uターンする形になるので、観光の順番としては 『礼拝堂』 → 『角島灯台』 の方がスマートだったかのも ?
しれませんが、何分、遠くからでも 『角島灯台』 が見えるモノですから、ついつい、心がハヤリ、先に 『角島灯台』 に行ってしまった次第です (笑)
。
|
映画 『四日間の奇蹟』 で印象的に登場する 『礼拝堂』
です。ロケセットですが、なかなか良く出来ており、周辺の雰囲気に非常にマッチしております。絶好の記念撮影ポイントでもあります。
映画の撮影終了後、ほどなく
『解体』 の予定でしたが 『残して欲しい』 との声が多かった為、『2008年の秋』 まで『限定保存』
されるそうです。ご覧になりたい方はお早めに !
|
さて、いかがでしたでしょうか ? 今回は
『VESPAに乗って』 ではなく 『レンタカーを借りて』 の 『島に行こう in 角島』 企画でしたが、気が向いたら、これからも 『番外編』
として 『VESPAのミニチュア』
を片手に、友達を引き連れ、色々な美しい島を巡りたいと思います。
もどる
|
|
こちらの写真は 『しおかぜの里 角島』
のレストラン内の様子です。 海辺の建物で、大きなガラス窓が配置されており、『食事』 と 『角島』
の景色が同時に楽しめる気の利いた施設です。
運が良ければ、すぐに座る事が出来ると思いますが、人気の観光地の為、人が多いので、タイミングが合わないと、少し待つ可能性もあります。覚悟の上、行って下さい(笑)
。
| |
|
この写真は 『角島灯台』 の一番上の 『展望台』 へと登る 『階段』
です。正直、『階段』 と言うより、ほぼ 『ハシゴ段』 です。あまりにも 『急勾配』 の為、『ロープ』
を頼りにロッククライミングよろしく、登って行かなければイケません。勿論、スカートの女の子は 『パンチラ』、と言うより
『パンモロ』 状態です (笑)
。
一緒に行っていた女の子の中に、コスプレマニアの子が数人いて、その子達が、『超ミニスカ・セーラー服』
に着替え、 『ニセ修学旅行』 と言う、ディープなテーマ ? で 『角島灯台』 を見学しました。
おかげで最後の
『ハシゴ段』 はパンツがまる見え・・・ (笑)
。 僕の友人達はノリのイイ人が多い・・・ | |
|
『角島灯台』 の 『展望台』 からの眺めです。 『360°の大パノラマ』 です。
ちなみに 『地上』 から 『灯火』 まで 『26メートル』 もあります。『どんなモンかな ?
』 と、思い、カメラを下に構えて撮影して見ました。かなりの高さと言う事がお分かり頂けると思います。
展望スペースも狭いので、『高所恐怖症』
の方には厳しいかも ?
しれません。 | |
|
『角島灯台記念館』 には 『角島灯台』 の設計者
『リチャード・ヘンリー・ブラントン』 さんの銅像があります。
この方は明治2年
(1868年)に、日本政府から任を受けて、イギリス (正確にはスコットランド人ですが・・・) から 『技士』
として来日した、いわゆる 『日本初のお雇い外国人』 です。
在日中の 『7年6ヶ月』 間に 『26もの灯台』
を 設計 & 建築しました。その為、 『日本の灯台と乳』 ・・・ ではなく (笑) 『日本の灯台の父』
と讃えられています。( 『灯台と乳』 と言うのは、冗談ですが、『灯台の父』 と言うのは本当です ! )
また
『26の灯台』 の建築の他、『5箇所の灯竿』 『2艘の灯船』 なども建築して、日本における 『灯台体系の基礎』
を築き上げました。 それだけではなく 『灯台技術者』 を育成するための 『修技校』
も設け、後継教育にも力を入れた、大変に情熱的な人でもあります。
さらに 『灯台体系』 だけではなく 『日本初』
となる 『横浜の電信工事 (1869年) 』 や 『横浜・伊勢崎町の鉄橋建設 (1869年) 』 も手がけた、根っからの
『技術屋』 さんです。
『明治9年 (1876年) 』 に帰国。 『明治34年 (1901年) 』
に59歳で亡くなられました。
|
|
|
海のすぐ横の公園は (くどいようですが、私は 『角島灯台公園』
の一部だと思っていますが・・・) 洋風の景観を楽しむ事が出来ます。『ギリシャ神殿』
のような柱もあったりしますので、何とも、不思議なスペースです。
写真で説明しますと、奥が海で、その海のすぐ手前が芝生のスペースになっております。
ちなみに、手前に見える
『ブルーのVESPA』 はミニチュアです。お間違えのないように (笑)
。
| |
|