●『BACK IN THE NIPPON!』僕の神様がやって来た! | ||||||||||||||||||||||||
11.『EVERY
NIGHT』 1970年発売のアルバム『McCARTNEY』に収録されている悲しくも美しいナンバー。 このアルバムには明るい曲は1曲も収録されていません。それもそのはず、この頃ポールはビートルズの解散問題のゴタゴタにイヤ気がさして、スコットランドの隠れ家に引きこもっていました。その間、スチューダーの4トラックにマイクが1本と言う、現在のインディーズ・バンドでももう少しイイ機材を使うでしょ?って感じの、いわゆる“宅録”で3ヶ月の時間を費やして製作したのがこの『McCARTNEY』ってアルバムなのです。ファンの間ではファーストって呼ばれています。実はファン以外にはあまり知られていない事実なのですが、このポールのファースト・アルバム『McCARTNEY』は、ビートルズ最後のアルバム『LET IT BE』よりも早く発売されているんですよ。僕の知っている限りでは『McCARTNEY』の発売が1970年4月17日、『LET IT BE』が5月8日発売です。しかもポールはこのファーストが発売される1週間前の4月10日に、かの有名な『ビートルズの解散宣言』を行なっています。 ファンの皆さんはよくご存知ですが、最後までビートルズを続けようと努力したのがポール自身でした。しかしその間ジョンはオノヨーコとLIVE活動を取るようになり、他のメンバーも“ピン”での活動がクローズアップされていました。 特に69年の秋にジョンが『ビートルズを続ける気が無い』とはっきりとマスコミに公言した時点からこの解散宣言までの半年あまりは、ポール自身にとってけっして幸福な時期ではなかったのでは無いかと思います。 そんな苦悩の時期に製作されたナンバーだからこそ、人の心を動かす力があるのではないでしょうか? 補足ですが、このファースト・アルバム『McCARTNEY』は、発売わずか1週間で100万ドルの売上を記録!全米では3週間連続で1位を獲得しました。 しかし、ご当地イギリスでは2位止まり、何と彼のアルバムの1位を阻止したのが、『LET IT BE』だったのです。全英チャート1位『LET IT BE』2位『McCARTNEY』と言うドラマ仕立てな皮肉な結果に… ただ、全てがシナリオ通りに行かない部分も、彼、ポール・マッカートニーの大きな魅力のひとつで、今となってはそんな逸話も音楽至上の伝説にさえなっています。 12.『WE CAN WORK IT OUT』 リアルなビートルズ世代には『恋を抱きしめよう』って言った方が分かり易いかも? 1965年12月3日〜シングル発売、僕が生まれたのがこの年の11月だから…って事は記憶にないな〜(あたり前か!)何を隠そう、僕はリアルなビートルズ世代では無いって事になる訳です…ちなみにこのシングルのB面はかの有名な『DAY TRIPPER』です。このシングルは1966年1月の最初の3週間、連続でビルボードの1位を獲得!作曲にあたってポールが前半を担当、ジョンが中間部を担当しています。ミドルの部分で曲調が4分の4拍子に変調しますが、これはジョージのアイデアです。このアレンジにより、曲が素晴らしい物になったと、発売当時、ポールは言っていたそうです。 『BLACK BARD』から連続で3曲も聴く事が出来たポールのアコースティック・ナンバーを聴いての感想ですが、とても還暦を迎えたとは思えない声の張りとツヤで超驚き! ポール自身、決して楽では無いと思いますが、オーディエンスの期待を裏切らない、イヤ、期待以上のパフォーマンスを見せてくれる数少ないエンターテナーだって事を再認識させられました。 13.『CARRY THAT WEIGHT』 このナンバーからはギターを置いて、今度はポール1人でエレピの弾き語りになります。ステージ中央にマジカルミステリー調のデザインを施されたサイケピアノが運ばれ、軽くキーの調整をしたかと思うと、いきなりこのナンバーを歌い始めます。あまりの格好良さに思わず倒れそうになりました。ピアノがサイケにカスタムしてあるのでディテールをよく把握出来ませんでしたが、音色からフェンダーのローズピアノでは無いか?と思います。実は僕も子供の頃、ピアノを習わされていた為、“一杯一杯”ですが何とか今でもポールのナンバーのいくつかを弾く事が出来ます。何を隠そう、僕も同型の70年代のフェンダー・ローズピアノを今でも持っていて、このLIVEを見た後、自宅に帰って思わず僕のフェバリット『Your Mother Should Know』を弾きながら1人で悦にイってしまいましたヨ(笑)恐らく僕と同じような方は多いと思いますよ。ポールのLIVEの後、押し入れの奥から学生時代に買った“グレコ”のバイオリン・ベースを出して来て『I SAW HER STANDING THERE』を弾いたおと〜さん!きっと少なくとも20人以上はいると思います。イヤ、もっといるかもしれませんネ(笑)補足ですが、この曲、オリジナル音源はご存知、1969年9月26日発売の『ABBEY ROAD』です。今回の演奏は完全にエレピのみの弾き語りでした。
この曲ではキーボード担当のウィックスが演奏のバックアップをしています。特徴的なフルート系の音を見事にキーボードで再現して、ビートルズ時代のオリジナルに近い演奏を聴かせてくれました。とても2人で演奏しているとは思えない重厚なサウンドです!また、この演奏時にはビートルズ時代にポール1人が出演している『THE FOOL ON THE HILL』のプロモ・ビデオがバックのスクリーンに映し出され、スローでナイーブなナンバーも手伝って、大変ノスタルジックな雰囲気をかもし出していました。ちなみにこの曲、1967年2月1日に発売されたコンパクト盤『MAGICAL MYSTERY TOUR』の収録曲です。 15.『HERE TODAY』 ここでまたポールはアコースティックギターに持ち替えます。 演奏前にポールが一言、『ジョンの為に歌います、ジョンに大きな拍手を…』 演奏前のこの言葉に会場は割れんばかりの拍手が… そしてこの名曲がギター1本で奏でられます。 この曲は1982年に発売された名盤『TUG OF WAR』からのナンバー。 ファンの間ではポールから亡きジョンに捧げた曲としてあまりにも有名ですね。 『今こそ こう言おう 僕は心の底から 君を愛していた』 『君が僕の前に現れてくれて 僕は嬉しかった』 『君はいつも 僕の歌の中にいた』 『そして 今も』… 素敵な歌詞ですね。 16.『SOMETHING』 ジョンへの追悼歌の次はジョージへのトリビュート・ソングとしてポールはジョージの名曲『SOMETHING』をウクレレ1本で奏でます。演奏前にポールは日本語で一言『ジョージ・ノ・ツイトウ』って言って演奏を始めます。この時ポールが弾いているウクレレは実際にジョージからプレゼントされた物だそうです。数あるジョージのナンバーの中でも最高の1曲と称する人も多いこのナンバー、1969年11月29日付けのビルボードでも堂々1位に輝いています。 17.『ELEANOR RIGBY』 この曲でまたポールは再びアコースティックギターに持ち替えます。この曲もバックのストリングスがキーボードのウィックスによってレコーディング当時と同じように完璧に再現されています。またこの曲では他のメンバーが出て来てバックコーラスを担当しています。最近のツアーではポールは好んでこの曲を演奏していますね。ちなみにオリジナルは1966年8月5日発売の『Revolver』に収録。同年の9月24日、10月1日付けの2週間に渡り全米で11位までランクアップした曲です。 18.『HERE THERE AND EVERYWHERE』 この曲でメンバーがアコースティック楽器を使用してフル参加に戻ります。全員がステージの前に来て演奏してくれます。ドラムのエイブはワイヤーブラシを使用してスネアを叩き、キーボードのウィックスが今度はアコーディオンを奏でています。1991年に発売された公式海賊盤にも収録されていますので、機会があれば是非聞いてみて下さい。この曲も前曲の『ELEANOR RIGBY』同様に『Revolver』の収録曲ですが、当時、正式なシングルカットはされていません。 19.『MICHELLE』 この曲も演奏形態は『HERE THERE AND EVERYWHERE』と同じです。ウィックスのアコーディオンが最高ですね!別テイクが2度目のワールドツアーの模様を収録した『PAUL IS LIVE』に収録されていますので、聴き比べてみるのも面白いと思います。 オリジナル曲は1965年12月10日に発売された『RUBBER SOUL』に収録されています。
この曲からポールは再びバイオリンベースを持ちます。したがいましてバンド形態もオープニング時に戻ります。オリジナル音源は1974年に発売の同名アルバムに収録されています。また、この曲の演奏時、ギターのラスティのボトルネック奏法は最高でしたよ! つづく→ |
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