●100年目のエピローグ バルセロナ

『ピカソ美術館』
『モンカダ通り』にあるこの美術館、は1960年に元々“廻船問屋”だった物を改築してオープンしました。この通りは大変シックな場所で、今でも中世の街並みが残っています。ピカソに関して今更説明の余地はないですね。1881年10月15日(さそり座だ!笑)南フランスの『マラガ』で生まれ、1973年4月8日に死去したことだけご紹介しておきましょう。作品に関しては誰もが知るところ、パリの美術館も何度か行きましたが、バルセロナの方がシックな画家的要素が強く、僕はこちらの方が好きですね。青の時代以前の物をご覧になりたい方は断然にお薦め。もっとも、パリもバルセロナも1度は訪れて見るべきですが…。





『モンカダ通り』の中世の街並みに妙にハマっている赤いVESPA…。スモール、角目、3角マット、ET-3マフラー、そしてシェルホーン…。スペイン仕様のVESPAは面白いでしょ。




モンセラットの岩石群です。あなたは何に見えますか?その下に見切れている建物が修道院です(上)。霧の中の聖地もなかなか“おつ”な物でしたよ。でも本音を言うと晴れた日に行きたかったですね…。




市内でも数多くのオブジェを見ます。これはかなり前衛的ですね。なかなか凡人は理解に苦しむところですが、座っているおね〜さんはとっても美人!このルックスは凡人にも理解出来ます(笑)
 何と言ってもバルセロナで忘れてはならないのが『ピカソ』の存在ですね。彼は14歳になる直前から23歳でパリに旅立つまでの約10年間をこの地で過ごしています。当時はカタルーニャ再生運動の真っ只中!多感な青年時代をバルセロナで送った事は、後の彼の人生に大きく影響を与えたのは言うまでもありませんね。また、当時多くの芸術家の卵達と親交を結んだカフェ『クアトロ・ガッツ』で初の個展を開いたのもこの時期です。そして、彼の最初のエポックとも言える『青の時代』の製作にとりかかったのもこの時期なのです。“ピカソになる前のピカソ”を見られるのは、このバルセロナの『ピカソ美術館』だけかもしれませんね。
こちらは『ミロ美術館』にある彼の作品です。単純明快!明るくて楽しい!それが『ミロ』です。“自称美術館マニア”の人に多く見られる傾向は、絶対現地の美術館まで足を運ぼうとしないって事…。本当に良い作品は本場の美術館じゃないと見る事が出来ないのに、どうして見に行かないの?って不思議でなりません。本場の空気にも触れた事のないB級さんに絵やオブジェを偉そうに語る資格はないです。僕のようにVESPAの製作をしていると、『自称デザイナー』や『自称スタイリスト』等、妙に横文字が好きなクセに全く海外に行って見聞を広めようとしない痛い人に会う事が多いので本当に疲れます。もっとも、この人達は“自称”ですから決して技術や才能を他人から認めてもらえる事は無いのですが、それを現実として受け入れる事が出来ないので、見ている方はもっと痛くなります。あなたの周りにもいませんか?自称○○さんが(笑)。本で読んだり、人に聞いたりした事を自分の物にしてしまうのは危険です。本当に自分の目で見て、そして聞いて確かめた事だけが自分のプラスになるのでは?僕はそう思いますよ。(少々、辛口でゴメンなさい)
 そして、もう1人忘れてはならない人がいます。その人の名は『ミロ』です。彼の作品を収蔵した『ミロ美術館』は『モンジュイックの丘』の上にあります。何だかこの名前、30歳前後の方は聞き覚えがありませんか?…そう、バルセロナ・オリンピックのマラソンコースとしても有名でしたね。銀メダルの有森さんを覚えていますか?…おっとっと、話がソレましたね。『ミロ』の話に修正しますね(笑)。彼は1893年4月20日生まれの生粋のバルセロナっ子です。絵だけではなく、彫刻、版画、陶器、全てのジャンルの才能に秀でたバルセロナの生んだ世界的な天才芸術家です。1983年に90歳で亡くなるまで、精力的に作品を発表していました。彼の作品は正に単純明快!明るく楽しく、そして元気にさせてくれる物ばかりです。いつも暗い顔して日本でクヨクヨしている君!そんなヒマがあれば、バルセロナまで行って『ミロ』を『見ろ』…すいません、さむ〜い事書いて(反省)
こちらは『モンセラット修道院』の中とその周辺の写真です。数限りなく点灯された赤いロウソクが荘厳な雰囲気をかもし出し、大変美しい光景です。当然の事ですが、黒い聖母像の写真を撮る事はNGです。どうしても見たい方は直接行ってあなたの心のファインダーに焼き付けて下さい(笑)。ご覧のとおり、僕が行った日は雷も鳴る程の悪天候…。日本から来た、心の曲がったVESPA屋の訪問を拒むかのようでした…

 さて、バルセロナから北西に約60kmの場所に『モンセラット・Montserrat』と言うカタルーニャ(バルセロナ地方の意味)人の聖地があります。『モンセラット』とは『切られた山』の意味…。白い岩肌が奇怪な様相で見下ろしているのです。この巨大な岩は土地の地殻変動により突起したものだそうで、その為、『魔法の巨人』『死人の顔』『ミイラ』とか、さまざまな呼び方をされているそうです。かの『ガウディ』もこの地に通って、この岩から作品のインスピレーションの源をさぐったとの逸話も残っているそうです。また、この山の中腹には、黒い聖母マリア像がある『モンセラット修道院』があります。この黒い聖母マリア像は、12世紀に1人の牧夫がこの山の洞窟『サンタ・コバ』で見つけた物だそうです。イスラム支配の受難の時代を洞窟でひっそりと生きぬいて来たこの黒いマリア像の噂は各地に広まり、やがて多くの巡礼者がこの地を訪れるようになったとの事…。修道院からサンタ・コバまでの徒歩約30分の道のりは『十字架の道』と呼ばれており、キリストの生涯をモチーフにした『ガウディ』のレリーフもあります。キリスト関連の書物や過去の宗教間の争いは、極東に住んでいる自分には全くの無縁と言っても過言ではありませんが、この教会の荘厳な雰囲気にはクリスチャンではない僕にとっても、感動以外のなにものでもありませんでした。

  真っ青な空の下、天才の建築物を見て、奇才の絵を見て、意味深き修道院に感銘を受け…いかがですか?バルセロナではとても有意義な休暇が送れますよ。当然の事ですが、今回ご紹介した物はバルセロナの魅力のほんの一部に過ぎません。他にもここでは書き入れない程です!時間にゆとりが出来たら是非行って見て下さいね。絶対に感動をお約束しますよ。

中世のたたずまいの残るゴシック地区の代表的な建築物がこの『カセドラル(大聖堂)』です。3本の斜塔が特徴的なこの歴史的な建造物は1298年に施工が始まり、1454年になってようやく大部分が完成したそうです。バルセロナ特有の“カタラン・ゴシック用様式”に“ロマネスク・バロック様式”を取り入れた物で、バルセロナ市民の精神的な支えでもあるそうです。今でもお祈りを捧げに来る信者が途切れる事はなく、ひざまづき、十字を切って礼拝堂に足を踏み入れる姿は、僕のような日本人から見れば格好良くも写ります。(変な表現ですが…)いずれにせよ、バルセロナ市民の信仰心の深さが伺える一面ですね。



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こちらは『ピカソ美術館』で購入したリトグラフです。当然の事ながらオフィシャル品なのでかなり高価だった記憶があります。安い物でも数千円、高い物はン万円のプライスが付いていましたよ。結局無理して3枚も購入しました(苦笑)。もっとも本物なんて絶対に手が出ませんからね…。我々のような“小市民”(死後?)は、リトグラフを眺めるのが正しい楽しみ方ですね。




白いVESPAにお巡りさん…海外でよく見る定番スタイルです。『バルセロナ』もご多分にもれず、P200系に大きな風防を付けた物が使用されていました。後部座席にある大きな黒いボックスの中には違反切符が一杯入っているんだろうね…怖い怖い…。




こちらはセルベタ(スパニッシュ・ランブレッタ)のリンスです。ボックスの上部に懐かしき『バルセロナ五輪』のステッカーが…。イタくもあり、妙に似合っていたり…。ん〜コメントが難しい1枚ですね。




ピアジオのモペッドに乗ったこの女性、かなりの勢いで車の間をすり抜けています。足を少し上げた攻撃的なライディング・ポジションです(笑)。カメラを向けた僕としっかり目が合っています。よ〜く見ると、日本向けのチャオ系とは少し異なるようです。フォークのデザインやハンドルの形等、全く別コンセプトの物です。『チャオ』は自転車寄りのデザインですが、このモペッド『ベスピーノ』はバイク寄りのデザインと言っても過言ではないですよ。余談ですが、右側通行の国ですから、バックミラーは左側で正解です。