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『難攻不落』の町『クチ』を見学する前に20分程度の 『難攻不落ビデオ』を見ます。
また、係員が丁寧にビデオの補足説明を 『難攻不落ジオラマ』 を使って行ってくれます。 全て日本語と言うのが嬉しいところです!
ここの大きなポイントは全長250Km(驚きでしょ!)に及ぶ蟻の巣のような地下トンネルで、『クチ・トンネル』(そのままですが・・・)と呼ばれています。
地上戦が不利だと感じた『南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)』は何年もこのトンネルで生活してアメ公を粉砕して行きました。
その構成は複雑かつ超機能的 に施工されており、結果、戦争終結まで『アメリカ』に破れる事はありあませんでした。 『難攻不落』とは『クチ』の為にあるような言葉。
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ベナトム戦争の
補足説明 @
『ベトナム戦争』とは1960年〜1975年の間、『インドシナ戦争』の後に勃発した独立と南北の統一をめぐっての戦争です。
戦線布告なしの戦いだった為『ベトナム紛争』とか『第二次インドシナ戦争』とも言われたそうです。
余談ですが、『インドシナ戦争』の際、バズーカ・スワンネックこと、『ACMA』の『TAPヴェスパ』がODにペイントされ、戦地に送り込まれた事はあまりにも有名ですね。 |
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『クチ』への入り口です。 英語とベトナム語のエントランス看板があります。
また、パンフレットには日本語版もあり、歴史に興味のある方にはお勧め!
ご覧のとおり、当時の雰囲気を再現した入り口付近の小屋もなかなか良い演出です。
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ベトナム戦争の
補足説明 B
『テト攻勢その@』
テトとはベトナムの旧正月の事。
この時期に『南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)』は大規模な一斉攻撃を仕掛けました。これがいわゆる『テト攻勢』です。
しかし『アメリカ軍+南ベトナム政府軍』のタッグチームの猛反撃を受け、事実上壊滅状態になりました。
この後『ベトナム戦争』の構図は『アメリカ軍+南ベトナム政府軍のタッグチーム』vs 『北ベトナム正規軍』の様相を呈して行きました。
『南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)』にとって、作戦的には失敗に終わったこの『テト攻勢』も、実は他の面では大きな成果があったと言われています。
それは、歴史を振り返るTV番組等でも見た事がある人も多いと思いますが、当時『南ベトナム』の首都『サイゴン』にあった、『要塞』と目されていた、アメリカ大使館を『南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)』のゲリラ兵20人が、いとも簡単に占拠した事。
この様子は全米で生放送され、『ベトナム戦争』への関心を高めた事は言うまでもありません。
しかし、この『テト攻勢』とその作戦失敗に伴って明確化した事は、ベトコンの兵士だけではなくその組織、『南ベトナム解放民族戦線』そのモノ自体が、『北ベトナム正規軍』の使い捨てのコマであると言う事実。
この時生まれた双方のミゾは『北ベトナム』により『南ベトナム』が吸収された後も埋まる事が無かった・・・ |
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こちらの写真は 『クチトンネル』の入り口です。
大人がかがんでも、通り抜けるのはかなり厳しいモノです。
小柄なベトナム人が身をかがめても、やっと通れる程のスペースですから『ウドの大木』で大柄だけが自慢のアメリカ兵は途中で閊える事も多かったそうです。
内部には縦横無尽にトンネルが張り巡っており、多数の『トラップ』が仕掛けてありました。 実は、当時のトンネルを少し広げて、観光客用に公開していました。 その長さはわずか13メートルでしたが、内部の暗さと狭さには正直、恐怖を感じました。
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『クチ』で面白いモノを見せて頂きました。 何だと思います?? 正解は『タピオカ』。
赤いバケツの奥にある葉っぱのような樹木が『タピオカの木』だそうです。
『ベトナム戦争』当時からこのジャングルで採れていたそうで、『南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)』の貴重な食糧源のひとつになっていたそうです。
熱いベトナム茶と一緒にこの『タピオカ』を頂きましたが、僕的には何とも表現の出来ない味でした。
芋の食感でチーズのような、 まったり感と言ったトコでしょうか・・・
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ところで、『ベトナム』と言えばどうしても忘れてはならない悲しい歴史があります・・・そう『ベトナム戦争』です。
このページでは、少々シリアスな内容になりますが、『ベトナム戦争』当時に『難攻不落の町』と言われた『クチ』に行って来ましたので、その模様と『ベトナム戦争』についての歴史を少し振り返って見たいと思います。
『イラク』の出来事は決して対岸の火事ではないと思います。平和ボケしてしまっている今だからこそ、『ベトナム戦争』から学ぶ事は多いと思います。
(尚、ベトナムの歴史を知りたい方は図書館などで、歴史本を読むと良いと思います。大変に興味深く、勉強になりますよ。)
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『ベトナム戦争』の際 『鉄の三角地帯』と言われた、難攻不落町があったのをご存知でしょうか? その名は『クチ』。
よく映画とかで見るジャングルでの『ベトコン』VS『アメリカ兵』の神経戦・・・ (注*ベトコンとはアメリカやマスコミが言った呼び名で、正式には南ベトナム解放民族戦線=NFLと言います。) さながら、今でもその町(村?)は、映画そのもののロケーションなのですが、事実はもっと重いようです。 唯一アメリカに勝った国の本当の姿がここにあります。
圧倒的な物資、兵器、兵力を持ってしても、アメリカが攻略出来なかったその訳は 『ベトコン』の天才的な戦略と超システマティックに統制された内部構成、それにアメリカと最も異なる点は『自分の国を守る』『自分の国の為に死ぬ』と言う、堅い堅い決意でした。
大統領に言われたから仕方なく意味も分からず、戦争に来ているチキンなアメリカ人とはマインドが全く違うので、結果は最初から目に見えていたようです。
この写真は『クチ』の『ベトコン』のトラップです。これは『ベトナム戦争』当時に実際に使用された物で、真っ暗なジャングルの中で何時間も息を潜めてアメリカ兵を待ち、その時が来たら敏速に攻撃をして、風のように消えて行く・・・凄いでしょ!
これじゃ、体の大きな能無しアメリカ兵がPTSDになるのも無理ないね〜・・・もっとも、自業自得だけど。 ここはベトナム人の土地、アメリカ人が入るのが間違っている!
| 『ベトナム戦争』とは簡単に言えば共産国家(当時のソ連)と資本主義国家(アメ公)の代理戦争です。
第二次世界大戦後、皆さんもご存知のとおり、核兵器を抑止する為の政策として核兵器を持つと言う流れが暗黙の了解の上で成り立っていました。いわゆる『冷戦構造』です。
どちらかが攻撃してしまえば、報復攻撃としてやり返されてしまうのを恐れた大国の面々は、世界の各地で『代理戦争』を行っていました。 ここで言う大国とは勿論、 『ソ連』と『暴力大好き民族のアメリカ』の事を言う訳ですが・・・ その悲しい実例が『キューバ危機』や 『朝鮮戦争』だったりします。
歴史の時間でも習った事ですが、第2次世界大戦後『アジア』『中南米』『アフリカ』等の植民地では、軍事行動を伴ったかなりファンキーな独立運動が起こりました。 この独立運動の影の立役者の多くが、共産主義国家でした。
特に『アメリカ』に対抗していた『ソ連』の『スターリン』は、各地で独立運動の後押しをしたと言われています。 そんな事をされると面白くないのが、自由主義の盟主を自負する『アメリカ』です。 なぜなら、資本主義の植民地が共産国家の後押しで独立した場合どうなるでしょう? 答えは簡単・・・独立後は『ソ連』の体制をコピーした共産国家の誕生です。
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『クチ』の現地ガイドさんは当時の 『ベトコン兵』に扮しています。 今風で言うトコのコスプレ??
当時のままの格好を再現しているとの事ですが、驚く事のはその戦闘スタイル・・・
何と!足元はサンダルだったそうです。 コレは廃タイヤのゴムから製作したモノだそうで、コストもかからず、奥深いジャングルを歩くのには最適だったそうです。 戦闘ブーツの代わりにゴムのサンダル履き・・・ こんな奴らに勝てる訳ない!
ちなみにこの廃タイヤで製作したサンダルは、現地のお土産物としても販売されています。
どこをどう取っても、ベトコンには全くの隙がない・・・
| 事実、当時『ソ連近郊』の『東ヨーロッパ』ではこの現象が多く起こり、共産主義志向がなだれのように隣国へ伝染する事を『ドミノ理論』(ドミノ倒しから来ています。)と呼び、西側の大きな悩みのひとつでした。
でも、絶対に直接対決は避けたい・・・なぜなら前出のようにお互いに核を保有しているからです。実際の核の恐ろしさは『広島』と 『長崎』に原爆を落とし、モルモットのように日本人を焼き殺したアメリカ人本人が一番良く分かっていたからです。
そこで、『ベトナム戦争』のような 『共産国家』VS『資本主義国家』の代理戦争が各地で勃発した訳です。
最終的には、 『共産主義(ソ連)の後押し→北ベトナム軍』VS『資本主義(アメリカ)の後押し→南ベトナム軍』の形で、引くに引けない意地の張り合いにより『ベトナム戦争』は泥沼化して言ったのは周知の事実です。
また、よく知られている事ですが、『ベトナム戦争』時にアメリカ軍は『枯葉剤』を散布して森を焼き払い、多くの罪の無い人を豚のように殺しました。 この『枯葉剤』の影響は30年以上経った現在、散布された地域(ベトナム中部)の住民の孫の世代にまで奇形を及ぼすと言う最悪の事態が続いています。
戦争にもルールはあります。そのルールを作ったのが自由主義の盟主を自負する『アメリカ』ではなかったかな〜? 『枯葉剤』はあまりにもルール違反ではないでしょうか! いつもルールを簡単に破るのは『アメリカ』だけです。 それは今も昔も、そして『イラク』でも・・
『大義無き戦い』と『ベトナム戦争』は言われました。核兵器が発見されなかった『イラク』では、すでにその『大義』が無くなってしまっています。 戦争が泥沼化しても誰の利益にもなりません。同じ事を繰り返さない事だけを切に願うだけです。
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『ベトナム戦争』当時にはジャングルだったこの地も、現在では超観光地化されています。
『ホーチミン』から車で2時間弱。『南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)』の聖地も今やアメリカ人相手のお土産物屋が連なるお買い物の聖地になりました(笑)。
何でもビジネスにしてしまう 商魂たくましいベトナムの人には正直感服致しました!
この力強さは我々日本人も見習わなければイケない点かも?しれませんね。
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『南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)』がジャングルに仕掛けた『トラップ』です。 これは当時、本当に使用された本物です。
上の写真Aではご覧のとおり枯葉が引いてあり、普通の道にしか見えません。 しかし、そこは下の写真Bのように、シーソー状に回転する仕組みになっており、中には竹槍(赤い丸参照)が敷き詰めてあります。落ちると例外なくOUT!
単純だけど闇のジャングルでは効果テキメンと言ったトコでしょうか?
事実、多くのアメリカ兵が『トラップ』の餌食になったそうです。
この他にも色々な『トラップ』があり、全て展示公開されていました。本当に『南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)』のバイタリティの深さには圧倒されます。 飛行機で来て空爆して帰るだけの能無しアメリカ兵がコレでは勝てる訳がない!
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ベトナム戦争の
補足説明 C
『テト攻勢A』
『テト攻勢』の際、もうひとつ大きな事件がありました。
当時『南ベトナム政府』の副大統領の側近だった『グエン・ゴク・ロアン警視庁長官』の手により、サイゴン市警によって逮捕された『南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)』のゲリラ兵の『グエン・バン・レム』が路上で射殺する映像が全世界に放映された事。
僕も実際にこの映像はTV番組で見た事があり、大変に衝撃を受けた記憶があります。
よく歴史系のニュース映像番組で取り上げられる事も多いので、ご覧になった方もあると思います。
さすがにこの映像には世界が怒りに震撼しました。
なぜなら、ゲリラ兵とはいえ、裁判さえ受けていない容疑者を、警視長官自らが路上処刑すると言う呆れた『ベトナム戦争』の暴挙に、世界中の世論が戦争反対に動いたのは今さら説明の余地もありません。
また、この映像の一部始終を撮影したアメリカ人の報道カメラマン『エディ・アダムス』は、後に『ピュリッツァー賞』の『報道写真部門』を受賞しました。 |
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一見『蟻塚』に見えますが、実はダミーです。
この『ダミー蟻塚』はトンネル内の空気口として『南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)』が製作したモノ。
ジャングルのいたる所にこの 『ダミー蟻塚』があったそうです。すごい知恵としか言いようが無いです・・・
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『クチ』では、当時『アメリカ軍』が投下した爆弾の不発弾とかも展示しています。 勿論、爆発の恐れはないですよ(笑) ここも、ちょっとした記念撮影のポイントになっています。
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『クチ』のお土産物屋での事。 何だと思います? 答えは『サソリ酒』! 他にも『コブラ酒』が 置いてあり、結構キツイ外観です(苦笑)。 利き酒も準備してありましたが、丁重にお断りしました。
ご他聞に漏れず、滋養強壮に良いそうです・・・
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