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こちらの写真は 『なすび島』 へ渡る為の本土側の港町 『なすび港』
です。 某瀬戸内地区の小さな町で、漁業で成り立っています。 (関係者から、場所の特定はしないで下さいと、要請がありました。)
『島』
なので、ご他聞にもれず、閉鎖的な地域です。ビジターがウロウロしていると、あまり好意的には見てくれないようです。
『消防団』
とかもあるようですが、恐らく、島の方達のボランティアで成立しているように思えます。海風でペンキの剥がれたシャッターが物悲しいです・・・
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『なすび港』 です。向かいに見える霧に “むせぶ” 島が 『なすび島』
です。 定期便もなく、地元の漁師さんに無理を言って、船を出してもらい 『ET-3』 も一緒に積んで (矢印部分を参照)
、『なすび島』 に渡りました。
とは言え、ここは 『島』 ではなく 『岩』
で登記されてる為、地図上には記載されていません。
では何故 ? 『なすび岩』
と言う名称になり、地図に載っていないのかと言う事を、この地域の長老さん (97歳)
に話を聞く事が出来ました。
その方のお話では、『なすび島』
は古くから神様の島として信仰されていた為、簡単に島に渡る事は許されていませんでした。
もの凄く古い書物によるとの事ですが、昔、この辺りの地形図や名称を作る為に、当時の藩主から、詳細を提出するようにとのおふれが出たそうです。
でも、地域の守り神のご本尊がある
『なすび島・なすび神社』 を一般に知らしめたくなかった当時の村人達の知恵で、藩に対して、『島』 ではなく 『岩』
で提出したそうです。昔の事なので、過度なチェックや現地の調査もなく、それがそのまま藩の資料に載ってしまい 『岩』
として、今に至っているそうです。
お役所仕事と言うのは、常に書面上を優先して、きちんとしたチェック機能を持たないと言う愚かな点は、今も昔も変わらないなと、変な部分に関心してしまいました(苦笑)。 とは言え、『岩』
で認証されたと言う事実は、当時の村人にとっては 『願ったり、叶ったり』
だったハズです。
そんな深い深い訳があり、そのまま、 数百年経過した今日でも、『なすび島』
と言う名称で親しまれてはいますが、カテゴリー上、『なすび岩』
と言うジャンルの為、地図上には載っていないそうです。
皆さんのお近くにもありませんか ?
正式には地図に載っていないケド、昔から親しまれている地名が・・・それらの名前の由来を調べて見るのも、面白いかも ?
しれませんよ。
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『なすび島・なすび神社』 の境内から撮影した一枚です・・・ 『豪雨』
だと言う事がお分かり頂けるでしょうか ?
ここは、島の南西部の小高い丘にあり、周囲を樹齢数百年の古木達が囲みます。とても幻想的な光景です。
また、境内の真正面の木々の間から、瀬戸内海を望む事が出来る絶好のロケーションなのですが、晴れた日にこの光景を見る事が出来ないのが残念です。 晴れた日の光景を見る事が出来るのは、神様だけと言う訳です・・・
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こちらの写真は 『なすび島』 で遭遇した 『不思議なプラント施設』
です。 見たトコ、無人で稼動している 『グラスハウス』
のようです。驚く事に、同じような建物が200棟程度ありました。少々怖い感じがします。
『何かなぁ ? 』
って思い、興味津々でシャッターを切っていると、『ウイ〜ン』 と言う、モーターのような音がするので、見上げたところ、『監視カメラ
(丸部分参照) 』
が僕の動きを追っているではありませんか・・・
サスガにこの時だけは、変な緊張感で、背筋が凍る思いをしました。 どうやら、他の場所から遠隔操作で、この
『プラント』 を監視しているようで、かなりの数の 『監視カメラ』 が設置してありました。
その全ての
『監視カメラ』 が、僕が歩く方へ付いて動いて来るので、怖いとしか言いようがありません・・・ 程なく、『ET-3』
にまたがり、逃げるように、この 『プラント』
を後にしました。
後から地元の方に聞いてみたところ、数年前から外資系のIT関連の会社が、『ナス・バイオテック
( NBT.co) 社』 と名乗る施設を建設し、『なすび』
の品種改良を目的に運営しているとの事ですが、人の出入りは全くなく、地元の人でもその詳細を把握していないそうです。
以前、この施設に無断で侵入したジャーナリストが、『行方不明』
になり、2週間後、『山口県』 の 『周防灘付近』 の海で、遺体で発見された事があるとの事です。
確か、この事件
(事故 ? ) は僕も聞いた記憶があります。
地元の方の話の続きですが、『かかわらない方が賢明』
と言っておられました・・・ 確かに、賛成です。
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『なすび島』 の南側には小さな島があります。地元の方には 『小なすび島』
と呼ばれているそうです。
こちらは全くの無人で、殆ど木も生えていないようで、本当の 『岩』 です (笑)
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今回、雨の 『なすび島』
で撮影をしたVESPAは、『VSHカスタムオーダーのET-3』
です。
次のページで詳しく詳紹介しております。是非、ご覧下さい。 もう、『なす』 も 『ナース』
も出て来ませんよ (笑)
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最は何でもカテゴリー別に分類してしまう傾向があるように思えます。便利な反面、分類されたカテゴリーによっては、大きく明暗を分けてしまう事もしばしば・・・
記憶に新しいトコでは、2006年8月24日の
『国際天文学連合』 の総会において、『冥王星』 が惑星のカテゴリーから外され、『矮惑星 (わいわくせい)=仮称』
と言う、微妙なカテゴリーに降格されてしまいましたね。これまでと内容は何ひとつ変わらないのに、分類コードが違うだけで、イメージは大きく異なってしまうので、不思議なモノです。
この微妙なカテゴリーの中に
『島』 と 『岩』 も含まれるのではないでしょうか ? 国境を明確にする為、最東端にある、一辺がほぼ2Kmの三角形の 『岩場のような場所』 に
『南鳥島』 と命名して、領有権を誇示すると言う賢い方法は有名ですよね。 そう考えてみると、小さな無人岩でも 『島』
と言えば大きく感じるし、見た目は大きな島なのに 『岩』 と呼ばれれば、なんだか、テンションが下がりますね(笑)。
今回は 『島』
のような、でも呼び名 『岩』 となっている、不思議な場所、 『茄子 (なすび) 岩』 (通称 = なすび島と呼ぶ方の方が多い)
をご紹介します。相棒はVSHのカスタムオーダーの 『ET-3』 です。今回も納品を控え、最終調整を兼ねた “島巡り”
になりました。
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『写真上』 今回VSHでは 『なすび島』 で最強 ( ? ) のコラボ撮影を行いました。『なす』 と
『ナース』 と 『薄なす色のVESPA』 の登場です。
『写真下』 ロケ地は 『なすび島・なすび神社』 です。 『なすび』 の形を 『男根』
に例え信仰するこの神社は、『子宝の神様』 として古くから信仰を集めています。
ココで撮影した、『なすとナース』 の
『コスプレ』 に
興味がある方はこちらをクリック !
『雨の日にだけ渡れる島・・・』 このページの他の項目でもふれていますが、本土側にも
『なすび港・なすび神社』
と言う社があります。ただ、そちらにはご本尊が無い事や、分家的な存在の歴史的背景もあり、現地の方に撮影は遠慮してくれと言われました。但し、『なすび島・なすび神社』
の方は本家本元なので、場所を特定しないと言う事を条件に、撮影をさせて頂きました。『子宝の神様』 の前で 『ミニスカナース』
の撮影は、ある意味、『奉納の舞』 と言えますね !
さて、もうひとつ、コレも他の項目でふれていますが、ここ 『なすび島』
に渡る事が出るのは、『年に一度の奉納祭』 の時か、『雨の日』 だけです。
では
『どうして、雨の日なら島に渡る事が出来るのか ? 』
と、現地の長老さんに質問してみたところ、雨の日は天の神様の目がくもり、陸地を見渡す事が出来ないので、神様に内緒で島に渡る事が出来るのだそうです。
昔の人はしばし、都合良く、強引な後付けをしたモノですな
(笑) ・・・ この島の 『雨の日だけOK』
って言うのも、例外ではないように思えますが・・・
でも、この雨に日に渡る事を許されたのも、神主さんや、島の世話役等、限られた人達だけだったらしく、渡る理由も、主に神社の様子を見に行く、いわば今風に言うトコのメンテナンスの為だったそうです。
ちなみに現在も定期便の無いこの島に渡る為には、現地の漁師さんにお願いをして、船を出して頂くしか無い訳ですが、今でも雨の日でないと、『島渡し船』
を出してくれません。これは古くからの決め事だそうで、縁起事を大切にする海の男が多い、漁師町ならではの習慣だと思います。
『なすび島』
のこの習慣は、インターネット花盛りの情報化時代に、もの凄くアナログな考えかもしれませんが、僕も神様の信仰や、古くからのしきたりには順ずるべきものだと思う、古風な人間なので、雨の日の撮影は大変でしたが、イヤな気にはなりませんでした。
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さて、『なすび島』 に渡ってから、すぐに
『なすび島・なすび神社』 に向かう事にしました。場所は、船着場から 『ET-3』
で走る事、約5分程度で到着する小高い丘の上ですが、折からの雨の為、結構辛いドライブになりました。
それでも、『もし、雨が止んだら、すぐに船着場に戻り、島から離れるように』
と、船を出してくれた漁師さんに念押しされてはいましたが、この日に限っては、“幸か不幸か ? ” 雨が止むどころか、島に入ってからは嵐のような
『豪雨』 になりました (苦笑) ・・・ でも、この島に限っては、雨こそ歓迎の証と、ポジティブに考え、雨の 『なすび島』 を 『ET-3』
で駆け抜けました。
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『なすび島・なすび神社』
です。 よく手入れされているようで、非常に良いコンディションの神社です。境内の奥には、『男性自身の木彫り』
の像や、構図を説明する事が出来ないような、『エロい絵画』、『仏像』 が奉納されていました。サスガ、『子宝の神様』 です
!
実際、ここへお参りに来て、子宝を授かった方のお礼の絵馬等も奉納されていましたが、奉納品の為、撮影をしなかったのと、視覚的にエロ過ぎて、ヤバイ仏像等もあるので、境内の写真の公開は控えさせて頂きます。ゴメンなさい・・・ 神社には
『なすび神社』
の建立や、そのいわれについて、詳しく記載した看板も配置されていました。 なんだ、秘密の島とは言え、『知ってる人は知ってんじゃん・・・』
と、少し肩スカシを喰らった感じですね(苦笑)
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上の写真をご覧頂ければお分かりになると思いますが、『なすび神社』
に関して、親切な説明の看板が設置されていた為、続いてはその辺りに関してご案内して行きたいと思います。 (補足ですが、webはおろか、雑誌等での情報もなく、困っていたので、この説明看板には感謝しています。)
以下が看板部分から抜粋した
『なすび島・なすび神社』 の説明です・・・
『那須与一 (なすのよいち)』 の末裔とされる、『那須与太郎 (なすのよたろう)』
が、この地で多くの若い娘と浮名を流したと古事には記されています。 『与太郎』 は大変な美男子で、下は 『7歳のロリータ』 から上は
『70歳の大御所』 まで、島の殆どの女性と交わったとされています。『那須家』
は元来、源平合戦でも知られるように、弓の名手を多く輩出している名家ですが、その末裔の 『与太郎』 は、弓は弓でも、自分の弓 (男性器の裏言葉)
から子種を打ち、多くの島の女性に子供を産ませた為、『やはり、那須家は弓の名手だ ! 』
と半分、冷ややかな言い方をされたそうです。
現代では許されない行動ですが、昔は武家の行動を島人が戒める事が出来なかった時代背景と、古事にも記されていたように、『与太郎』
が大変な美男子だった事もその理由に上げられています。しかし、『与太郎』 は島の18歳の若い既婚者と情事の最中に、夫である漁師の 『熊五郎』
に見つかり、二人共、モリで突き殺されたそうです。『好事魔多し』 とは正しくこの事です。
その後、『文正元年 (1466年)』 に
『与太郎』 を霊を慰める為に、この 『なすび神社』 が建立さ れました。『与太郎』 は当時としては 『異常性癖』 の持ち主で、女性の性器に
『なすび』 を挿入して楽しむ事が多かったそうですが、多くの島の女性が、好意的に、この 『与太郎』 の 『性癖』 を受け入れていたそうです。
これらの事柄は後の 『江戸中期』 頃に、『与太郎』 の事をまとめた 『与太郎秘夜話』 でも記載されております。さらに 『与太郎』
は、『なすび』 で女性を楽しませる為、自分でこの地に 『なすび』 を多く植え、栽培をしました。しかし、『与太郎』
1人に対して、女性は何人もいた訳です。中には数ヶ月も、 『与太郎』 と夜を過ごす事が出来ない女性も出て来ます。その為、女性も自ら 『なすび』
を栽培して、『与太郎』 と逢えない夜は、この 『なすび』 で慰めたそうです。 (与太郎秘夜話から抜粋)
また、昔、この地域には割礼のような風習があり、若い娘達には 『なすびで処女を失う』
事により、先祖伝来への忠誠心を再認識させたそうです。 結果、この時の 『なすび栽培』 が島やその近隣の地域に広がり、有名な
『瀬戸の娘泣かせ』 と言う 『なすびの名産地』 になりましたが、第二次世界大戦中に、軍部の要請により、この 『なすび』
は封印されたまま、今に至っております。 以上が 『案内看板』 からの抜粋です。
実際に現在でも、島の南側には 『茄子棚
(なすだな) 』 が残っており、夏の時期には 『なすび』 がたわわに実るそうです。
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『茄子棚 (なすだな) 』
です。 (* 注 『なすび』 は合成です。夏季シーズンのイメージ画像としてご覧下さい。)
『藤棚』
は聞いた事がありますが、『なす棚』 と言うのは初めてです。数百年前に 『与太郎』 が植えた 『なすび』
の苗に、接ぎ木に接ぎ木を重ね、島の人達が守って来た結果、こんなに立派な 『なす棚』
になったそうです。
今は完全に野生化している為、夏のシーズンにしかその荘厳な姿を見る事が出来ないそうです。 僕が行ったのは
『冬季』 だった為、たわわに実った 『なすび』
を見る事だ出来なくて、少々残念ですが、その雰囲気を、合成写真から想像して頂ければ幸いです。
参考までに、この 『なす棚』
は 『瀬戸の娘泣かせ』 と言う 『与太郎』
が栽培した中でも、最も極太の品種だそうです。
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イヤ〜・・・人間の性衝動って言うのは、今も昔もあまり変わっていないようですね。昨今では、ネットの氾濫で、指先一本で、簡単にエロ情報が入手出来ますが、どうしても、リアリティの無い希薄なモノでしか無いですからね・・・
今のように便利ではない
『江戸時代』
の方が、もっと性に対して貪欲で、そしてオープンだったような気がします。 数々の江戸文化の文献でも、その事が伺い知れたりしますからね。 『なすび』
と 『子宝』 が結びついた神社がある事には、かなり感激ですね。一本取られたった感じです(笑)。
最後にもっとスゴイ話題 ?
をお知らせして、このページを締めくくりたいと思います。 この島の 『なすび (前出の瀬戸の娘泣かせ) 』 は 『太く』、『硬く』、『腰』
があり、『反りが滑らかな』 為、全国の 『オナニー愛好家の女性』 の為に、兼業農家の手により、今でも殆どが予約と言う形ではありますが、地道に生産さ
れているそうですよ・・・
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『なすび港』 付近で遭遇した、 『極太 なすび』 の
『無人販売所』
です。 『マジでぇ〜』・・・? 地元の人いわく、売れまくっているそうです。 『スキマ産業、恐るべし !
』・・・・
一緒に行っていたモデルの子が
『ネタになるので』、と一皿購入しました。ヤブヘビになるので、これ以上、写真に対してのコメントは控えさせて頂きます
(苦笑)。
ただ、素直な気持ちを一言だけ言わせて下さい。 『世の中、僕の知らない事ばかりだ ! 』
(再度、苦笑)・・・
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VSHカスタム
ET-3へつづく→
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こちらの写真は 『なすび港』 の山の手側にある、『なすび神社』
です。
地元の方に聞いた話なのですが、元々 『なすび神社』 は、対岸の 『なすび島』
の中に建立されていましたが、古くから神の島 (子宝の神様) として信仰のあった 『なすび島』 には、『年に一度の奉納祭』
か、『雨の日』
にしか渡る事が許されなかったそうです。
その為、なかなかお参りが出来なかったこの地域の方達が、いつも神様にそばにいてもらいたいと言う願いから、『なすび島』
内とは別に、本土側にも 『なすび港・なすび神社』 を建立して、信仰したそうです。いわば、『本店』 に対しての 『支店』
のような扱いです。
勿論、本家本元の 『なすび島・なすび神社』 は今も健在で、ご本尊様は今も 『なすび島』
の方にいらっしゃるとの事です。
昔の日本人は、本当に信仰が厚かったと言う事が伺い知れますね。
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『なすび港・なすび神社』
の社は、もの凄く高い場所にあります。その為、長い、長い、長い階段を上がらなければイケません・・・
この写真は社へ行くまでの、階段の中程から撮影したモノです。 超急勾配の上、心臓破り系の階段と言う事がお分かり頂けるかと思います。
高校の柔道部がウサギ跳びで上がると似合いそうです。70年代の青春ドラマのように・・・(笑)。
矢印部分が対岸の
今回の目的地 『なすび島』 になります。
ちなみに、現地の方に 『なすび港・なすび神社』 は、あくまでも
『なすび島・なすび神社』
の代わりに建立した物なので、撮影はしないで下さいと言われました。
古くから、この地域では、『信仰すべきは、なすび島のご本尊のみ
! 』 と言う、先祖伝来の考えを受け継ぐ方達と、『常にお参り出来るので、なすび港・なすび神社も信仰の対象になる ! 』
という新しい考えの方達との、衝突が絶えなかったと言う、苦い歴史背景があるそうです。
と言っても、この苦い歴史はこの地域が漁師町として栄えていた
『江戸末期』 から 『明治』
にかけてのお話だそうで、今は過疎化が進み、平成に入ってからは、お祭りを中止した事もあるそうです。
とにかく、ビジターには分かりにくい歴史背景もあるので、地元の方の気持ちを最優先して、丘の上の社の撮影は行いませんでした。
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こちらの写真は 『なすび島・なすび神社』
へ向かうまでの、長い長い坂道です。 登り坂の最後が、微妙な階段になっていた為、『ET-3』
を持ち上げて、境内へと運びました。雨で足場が悪く、かなりハードな作業になりました・・・
両側に神社を守るように鎮座している古木が雨と相まって、大変に幻想的な姿を見せてくれます。 『神の島だな〜』
って実感した瞬間です。
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島のいたる所で 『無断立入禁止』
の看板を目にします。 (丸部分参照)
『ナス・バイオテック (NBT.co) 社』
の管理地のようで、全ての施設に 『遠隔の監視カメラ』
が設置してありました。
こんな離れ小島の断崖絶壁の場所で、いったい何をしているのだろう ?
と思いましたが、金網を越える勇気もなく、すぐに退散しました。
実際、この 『ナス・バイオテック
(NBT.co) 社』 が 『なすび島』
へ施設を移設する際、住民の中では、反対運動を起こした方も少なくなかったそうですが、反対派住民の中で、『変死者』 や
『行方不明者』
が相次ぎ、結果として反対運動は下火になり、今は消滅したと言っても過言ではないそうです。
なんだか、『Xファイル』
のような話ですが、この話題は一時期、某有名な書き込みサイトでも話題になったので、記憶に新しい方も多いと思います。
施設はおろか、島にも近付かない方がベターと言えますね・・・
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島のあちこちで、野生化して大きくなった 『なすびの木』
を見る事が出来きます。 『ET-3』 の後ろの枯れ木も、実は 『なすびの木』
です。
夏のシーズン中には、あたり一面が 『ムラサキ色』 になる程、沢山の 『なすび』
が実るそうです。
昔の人はウマイ事を言ったモンです。 『実るほど、頭をたれる、なすびかな』
・・・ イヤ〜、『なすび』
を見習い、謙虚でありたいモノですね。
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雨のしずくをはじく 『VESPA』 のボディは、とてもセクシー (笑)
だったりします。
この 『VSHカスタムオーダーのET-3』
は、次のページで詳しくご紹介しております。 | |
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