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『江田島市』 の玄関口 『早瀬大橋』
を渡り、ほどなく行くと、右手方向に廃墟ホテル(元ラブ・ホテル)があります。 結構、廃墟マニアには有名なスポットらしく、日中とは言え、寒気を覚えるのは気のせいでしょうか??
赤い丸の部分のドアが半開きになり、中に入れそうな感じですが、勿論、入りません。怖いですし、不法侵入になるとイケないので・・・
何だか、『ラブ・ホテル』
の廃墟って、痴情のもつれから、殺人事件に発展・・・そして、廃業→廃墟って言う、サスペンス劇場のようなストーリーが浮かんでしまいます
(←単純?)。
ともあれ、さわらぬ神にタタリなしです。
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『明慶寺』
の正門です。 古い石段と木の扉、それに青空と VESPA・・・
ヤバイ位にハマりますね(笑)! 温故知新!!
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こちらも 『明慶寺』
の境内です。大変に歴史のあるお寺らしく、風格のある美しい彫刻が目を楽しませてくれます。
日本人ならこの空間には癒されると思います。何だかヒンヤリした空気とお線香の香りが、もの凄く心を和ませてくれます。 マジで有難い気分になりました!
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『明慶寺』
の広い駐車スペースの奥には、可愛らしい樽状の建物があり、中には仏様が奉ってありました。
このお寺の住職さんの好みなのでしょうか?境内の手作りおもちゃと言い、センスの良さが伺い知れます。
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『ふれあいプラザ さくら』
の内部です。結構、繁盛しているようで、入れ代わり、立ち代わり、色々な人が出入りしていました。
ガラスケースからオカズを取って、自分でテーブルに運ぶ、定番のセルフシステムです(笑)。
食事だけではなく、ご当地のお土産物も並べてありました。
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『三高砲台跡』
に行く途中、古い神社に遭遇しました。神社の前には説明看板があり、『貴船神社』
と書いてありました。
その歴史は古く、今から400年くらい前に建立された神社だそうで、昔は 『龍宮』 や
『龍竜神社』 とかと称されていたそうですが、今は 『ジュンゴ宮』
と言う呼び名で、地元の方に親しまれているそうです。
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ここのところ、仕事の合間を見て、島の 『戦争史跡』 を訪れる事が多いです・・・ ご存知のとおり、僕の住んでいる 『呉市』
は、第二次世界大戦中、『軍港』 として栄えた街です。その為、現在でも 『呉市』
近郊では、多くの戦争史跡を見る事が出来ます。
朽ち果てるに任せる史跡もあれば、中にはキレイに整備して、歴史を今に知らしめる大切な役割を果たしている所も少なくありません。今回、ご紹介する
『戦争史跡』は、後者方=現在、整備され、キレイな状態で一般に公開されている、『能美島』 の 『三高砲台跡』 です。 相棒は 『VSHカスタム』
の 『VESPA50S』 です。 エンジンのオーバーホール後、慣らし運転を兼ねての、『戦争史跡』
を訪ねるツーリングとなりました。
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今回、訪れた 『能美島(のうみじま)』 とVSHのある 『呉市』 の位置関係をご覧下さい。青いコースが 『VESPA
50S』 で走行したツーリング・コースになります。★のマークが 『三高砲台跡』
です。かなりの距離があり、片道2時間以上はかかります。対岸には 『世界遺産』 としても有名な 『安芸の宮島』
が見えたります。
この地域の
『大柿町』、『能美町』、『沖美町』は、例の平成の大合併により、『平成16年11月1日』より、『江田島市』
になりました。大変に海のキレイな場所で、『のんびりツーリング』 には最適ですね。
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さて、上の地図を、再度ご覧下さい。ツーリング・コースの途中で 『大柿町』 と言う場所を通った時の事、もの凄くキレイなお寺 『明慶寺』
に遭遇しました。
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『明慶寺』です。 歴史は非常に古く、『1598年頃』には、お寺を開いたと言う記録が残っているそうです。
その後、『江戸の初期=1636年
(寛永13年)』 に 『西本願寺』 から 『阿弥陀如来木仏尊像』 (←現存しているそうです) と寺号 『明慶寺』
が認可され、今に至っていると言う、非常に由緒正しいお寺です。
ちなみに、『1716年(正徳6年)』 に転派して、現在は
『東本願寺末寺』
として、多くの方の信仰を集めているそうです。
ともあれ、難しい事は抜きにして、その美しさには圧倒されます。僕のような、古い史跡好きには、たまらない場所でした!
ここで登場している、イカしたVSHカスタムのVESPA50Sは当店の販売車です。興味のある方はこちらをクリック!
| ところで、『明慶寺』 を調べていて、ひとつの歴史を知りました。 『2006年』
に公開された 『硫黄島からの手紙』 で、主役格で登場していた、実在の人物、『バロン西さん』は、皆さんもご存知のとおり、『1932年』に開催された
『ロサンゼルス・オリンピック』 での 『馬術』 の 『金メダリスト』
です。
メダリストとしての彼が戦争により人生を翻弄され、『硫黄島』
で戦死すると言う悲壮感のあるストーリーで、見る者に戦争の無意味さを強烈にアピールする力があった訳ですが、実は、『硫黄島』 で戦死した
『ロサンゼルス・オリンピック』 の 『メダリスト』 は、他にもいたそうです。 その名は 『河石達吾』
さん・・・
殆ど知られない事実だそうで、実際、『硫黄島からの手紙』 の中でも、彼の事は全く出て来ません。 彼は
『ロサンゼルス・オリンピック』 の 『100メートル自由形』 で 『銀メダルを獲得』 (その際、金メダルは宮崎康二)
したのですが、この大会では、日本は 『水泳王国』 と呼ばれる程、強く、金メダル6個を含む12個のメダルを獲得した為、『河石達吾』 さんの
『銀メダル』 は全く目立たず、帰国後、ほどなく普通の生活に戻ったそうです。
実は彼も、『バロン西』 さんと共に、『1945年の3月』
に 『硫黄島』 の戦いで戦死
(享年33歳)、その最期も、人生も殆ど語られる事なく、今に至っているとの事です。 戦争の為、悲運の人生を歩まざるを得なかった1人と言えます。 その
『河石達吾』 さんは、この 『大柿町』 生まれで、菩提寺が、ここでご紹介している 『明慶寺』 との事・・・ 戦争史跡の 『三高砲台跡』
の見学に行く途中、偶然に立ち寄った 『明慶寺』 で、『硫黄島』
にたどり着くとは思いませんでした・・・何だか、神妙な気持ちになりました・・・
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『明慶寺』前には、もの凄く広い駐車スペースがあります。見学に行く際は、心強いですが、実際は法事の時の檀家さんの為スペースだと思います。いずれにせよ、親切な対応です。
この辺りは大変に自然に恵まれていて、僕が行った日は、美しい
『枝垂れ梅』 を見る事が出来ました。 青空と梅のピンクのコントラストが素敵です!!
| さて、ツーリングは続きます・・・ 『明慶寺』 からほどなく行くと、『江田島市
交流促進センター』 と言う施設に出くわしました。ちょうど、お腹もすいていたので、ここの中にある 『ふれあいプラザ さくら』
で腹ごしらえをして行く事にしたのですが、農家のおば〜ちゃん達が集まって運営している施設のようで、価格も良心的な上、空気が超スロー(笑)なのです。先を急ぐツーリングではなかったので、立ち寄って正解でした。
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『江田島市 交流促進センター』 の 『ふれあいプラザ さくら』
内で頂いたお昼ご飯です。 そばは無く、うどんオンリーのお店ですが、なかなかジューシーな 『肉うどん』
を食べさせてくれます。セルフでガラスケースから取ってきた 『炊き込みご飯』 も絶品で、この2点で 『550円』
はお値打ちですね。
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さて、腹ごしらえの後、今回の目的地 『三高砲台跡』
へと向かう事にしました。 結構、走行距離もあり、なかなか気合の入ったツーリングになりました・・・ この次のページで詳しくご紹介しております。 是非、ご覧下さい。
つづく
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『三高砲台跡』 に向かう途中の 『大柿町』
で、雰囲気のある、古い煙突に遭遇しました。 『何だろう?』
って思って、近くに寄ってみたのですが、辺りに人の姿もなく、この煙突の意味を知る事は出来ませんでした・・・
ただ、古い酒蔵のような佇まいが近郊にあったので、恐らく、その名残ではないでしょうか?
現在は、現役を引退してかなりの時間が経過しているようで、ツタが高くまで、煙突の外壁に巻き付いているのが印象的でした。
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境内には、休息用のモダニカ (笑)
なイスとテーブル、それに、手造りの木のおもちゃが置いてありました。和洋折衷ですね。
また、『1814年(文化11年)』
の本堂再建から、『1979年(昭和54年)』 の屋根替えまで、本堂の両端にあった 『鬼瓦』
も展示してありました。
なかなか、気の利いたディスプレイで、このお寺のキャパの広さを知る事が出来ます。
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『明慶寺』
の前での事・・・ おば〜ちゃんが、犬の散歩をされていました。
“ワンちゃん”も 『VESPA』
を見るのは初めてらしく、興味津々(笑) のようです。 ほどなく、『あんなモノ、見るんじゃないの!』
って感じで、強引におば〜ちゃんに引きずられるようにして、連れて行かれてしまいました(笑)。
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『明慶寺』
の広い駐車スペースの下には、これまた広い児童公園が・・・
ジャングルジムや手作りのアスレチック系の施設があり、街中の環境に比べると、この開放感は、羨ましいの一言です・・・
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『江田島市 交流促進センター』
では、地元のおば〜ちゃん達が野菜等を持ち寄って販売しています。
それぞれのカゴに空き缶のお金入れがあり、そこに、担当のおば〜ちゃんの名前が書いてありました。
この場に来れないおば〜ちゃんは、こんな感じで、“半無人販売”を行っているようです。
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こちらも、『三高砲台跡』 に行く途中に遭遇した 『防空壕』
です。
子供の頃には、僕の住んでいる 『呉市』 でも、多くの 『防空壕』
があった記憶がありますが、今では、全く見かける事がなくなりました。
さしずめ、『砲台跡』 の島の
『第二次世界大戦時』
の忘れ形見と言ったトコでしょうか・・・
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