まずは 『下黒瀬小学校』 の看板がある路地からスタートです。実はここまでは、塗装屋さんに行く際、いつも通っていた道で、この案内看板も覚えていたので、僕的には 『楽勝じゃん ! 』 って甘い考えで、山道を登って行ったのですが、行けども、行けども、学校らしき建物はなし・・・ 

途中で不安になり、農作業をされていたおじ〜ちゃんに、『昔の小学校の建物を探しているんですが〜』 って聞くと、『山頂にある “下黒瀬小学校” を抜け、山の向こう側に下りてから、もう一度、“その辺” りで、誰かに聞きんさい (広島弁) 』 って言われました・・・

で、山頂から下りて、軒先で作業をされていた “おば〜ちゃんA” (写真参照) に遭遇したので、再度、同じ質問をしたところ、遠い山の頂を指差し、『青い屋根の保育所の横がそうじゃ・・・ (広島弁) 』 と教えて下さったのですが、正直、青い屋根が分からない・・・ (苦笑)。

でも、おじ〜ちゃん & おば〜ちゃんが知っているんだから、どうやら 『木造校舎』 は存在していると確信しました。


僕自身、久しぶりに虹を見ました。子供の頃はよく虹を見ていたような気がしますが、最近ではめっきり見る事もなくなりましたね・・・ 環境汚染が叫ばれる昨今、温暖化と虹の発生って、もしかしたら関係があるのかな ? 何て、真剣に思ってしまいました。

ところで、子供の頃、虹の “たもと” はどうなっているんだろう ? って、不思議に思った事はありませんか ? 人気コミック 『蟲師』 の中でも、虹の “たもと” に触ろうとする不思議な男の話が出て来ますが、触って見たくなる気持ちも分からないではないですね。

今回、望遠レンズを持っていたので、“虹のたもと” を、600mmで撮影してみました。 皆さん、触ってみて下さい (微笑) 。


『保育所』 の手前にある比較的新しい建物も、以前は小学校の施設だったのでしょうか ? 辺りに人影もなく、詳しい事を知る由もありませんでした。

建物の入り口には木の看板が掲げてあり、消えそうな文字でしたが、かすかに 『黒瀬町公民館 下黒瀬分館』 と読み取る事が出来たので、現在は 『公民館の分館』 として、使用されているようです。


側面の木の板壁が何ともいい感じです。朽ちるに任せているようにも見えますが、歴史を刻み込んでいて、なかなか風合いがあります。

厨房らしき部分もあり、中には古そうな石の流し台がありました。コンロにはプロパンガスが引いてあったので、こちらの建物も、『公民館の分館』 同様、現役で使われているようです。

そこで、イベント好きの僕は考えました !! こんな場所で、あえて “コンパ” とかやったら楽しいかもしれませんね ? 今度、企画してみようかな ? ・・・


板壁には拡声器が取り付けてありました。当時、始業の合図を知らせた物か ? はたまた、現在も現役で町内放送をしている物か ? 知る由もありませんが、年代的には新しい物のようです。

今、僕が仕事をしている 『海の家』 付近では、正午と夕方5時に、港の大きな拡声器から音楽が流れてきますよ。もしかしたら、同じような使われ方をしているのかも ? しれませんね。

ところで、よ〜く見てみると、板壁が剥がれていたり、ガラスが割れていたりで、結構、ヤレていました。基本、古い物はオリジナルがベスト ! !・・・ そう言う事にしておきましょう (笑) 。

年、15年近く取り引きのあった塗装屋さんのクオリティがあまりにも落ちて来て、VESPAを商品として納品する事が出来ない程、酷い仕事内容に成り下がってしまった為、塗装工場を変えました。詳細はブログでも書いたので、ご覧になった方も多いかと思います。

この取り引きを止めた塗装工場は、呉市内の便利な場所にあったのですが、今、新しく仕事をお願いしている塗装工場は呉市の郊外・・・ と言うより、正式には 『呉市』 と 『東広島市』 とのボーダー付近で、微妙に東広島市側になるのですが、実はこの付近は今でも畑が多く、一歩、幹線道路から裏道へ入ると、『マンガ日本昔話』 のような (笑)、“のどかな風景” が視界一杯に広がって来ます。

この辺りは呉市のベッドタウンでもあり、以前から僕の友人も多かったのですが、その中の友人の一人が、この 『VESPAに乗って島に行こう ! 』 のコーナーを見たらしく、『うちの近所の山の中に、木造校舎らしき建物が残っているよ。』と、教えてくれました。

とは言え、簡単に電話で場所を聞いただけで、事前情報は殆どなし・・・ 唯一、聞いたのは 『下黒瀬小学校の近郊にある昔の小学校らしき建物・・・』 と言う事だけ・・・ 『本当に木造校舎はあるのか ? ?』 ・・・

いわば “ダメ元” だったのですが、『180SS フリクリカスタム Series-U』 のセットアップ走行を兼ねて、レーシング・チャンバーの音を山間に轟かせながら (笑) “昔の小学校” を探しに行って見る事と相成りました。

『上の写真』
『木造校舎』 がなかなか見つからなくて、途方に暮れていると、晴れているのに何故か ? 小雨が・・・
まさに 『狐の嫁入り』 状態・・・ しかも小雨の中、大きな虹がかかり、その “たもと” を傘もささずに小学生達が歩いて行きます。辺りのロケーションとも相まって、“狐につままれた” ような、不思議な錯覚が僕を包み込みました。夢の中のようです・・・

『下の地図』
今回訪れた 『旧下黒瀬小学校』 と 『VSH』 のある 『呉市』 の位置関係をご覧下さい。車でも幹線道路を使わず、裏道を抜けると、僕のお店からでも20分位で到着する、いわばご近所です。こんな感じの場所なので、今回の撮影ツーリングは、比較的楽な距離でした。

さて、最初は山の中で迷って困りましたが、虹のお出迎えを受け、その後、ほどなく 『木造校舎』 にたどり着く事が出来たので、気分も上々・・・ 先ほどまでの小雨も止み、撮影にはもってこいの状態になりました。

ただ、『木造校舎』 とは言え、残っているのは当時の一部だけのようで、門柱や廊下、それに定番の 『二宮金次郎』 の銅像もなく、少々、拍子抜けしましたが、それでも、今の時代まで、『木造校舎』 を一部とは言え、壊さずに残しておいてくれた事には “一木造校舎ファン” としては、感謝の一言に尽きますね。


しかも、山間の外の道路からは殆ど見えない場所に、ひっそりと、隠れるように残っているこの建物ですから、見つけた時には、少し得をした気分になりました。

『旧 下黒瀬小学校』 です。
『公民館の分館』 の奥にある、『木造校舎』 です。正確には “旧下黒瀬小学校の木造校舎の一部” と言った方が正解かも ?・・・

『下黒瀬小学校』 の事を調べてみると、開校は明治5年との事・・・ さすがにその時の建物ではなさそうですが、それでも、かなり古い建物には間違いありません。さすがに窓だけはアルミサッシに入れ替えられていましたが、このパターンは “木造校舎のリビルト” の (リビルトって言葉はバイク用語ですね・笑、この場合リフォームですね。) 常套手段なのでしょうか ? ・・・ なかなか “オリジナルの木枠窓” を見る事はありませんね。

写真の 方向 から内部を覗いて見たところ、もの凄くいい感じの木の床が広がっていました。奥に黒板と掲示板もあり、間違いなく、教室だったようです。ビンテージのオールフローリングって、温かみがある上、今見るとCOOLで格好イイですね ! !


いや〜 やっぱり 『木造校舎は温かみがあっていいな』 って、再認識させてくれるような建物でしたが、校舎のすぐ横には 『忠魂碑』 があり,、戦争中には、忘れてイケない悲しい出来事があったのではないかと、推測させられます。

学校全体が全て残っている訳ではなく、今は前出の 『公民館の分館』 と、この 『木造校舎』 だけしかありませんから、昔を窺い知る事は出来ないのが非常に残念でした。願わくば、『忠魂碑』 を含めた、『校舎』、『校庭』、『ニノキン像』 etc... の間取りを知りたいところです。

『木造校舎』 & 『保育所』 の前には、ご覧のような “のどかな景色” が広がります。

実はこの近郊には 『イラスケ川』 と言う清流が流れており、地元でも有名なホタルの里なのですが、残念な事に以前に比べれば、格段にホタルの数が減ってしまったそうです。

そう言えば、『イラスケ川』 って、何でカタカナなんだろうね ? 昔から知っている名前だけど、由来なんて聞いた事がないですね・・・  昔、“イラ性で助べえ” な男が川に落っこちたとか ? (笑) で、『こんな場所に川があったんだ〜』 って事になり、命名されたとか・・・ ボキャ貧 (←死語 ? ) の僕は、こんな事くらいしか思い浮かびません・・・ (苦笑) 。

さて、いかがでしたでしょうか ? 『木造校舎』 自体は小さかったのですが、いつも仕事で通る道から、数分の場所にこんな歴史のある建物があったなんて、少々驚きです !!
この 『木造校舎』 の古さから比べれば、今回、乗って行った、『180SS フリクリカスタム Series-U』 なんて、まだまだ赤子同然ですね (笑) 。

そこで、次のページでは、この 『木造校舎』 に比べれば、赤子同然のヤングマン (←死語?) とも言える、 『180SS フリクリカスタム Series-U』 をご覧頂こうと思います。VSHで徹底的にフル・カスタムを施していますよ !!

     180SS フリクリカスタムへGO!→

右の写真 “おば〜ちゃんA” が 『青い屋根の保育所の横が・・・』 と指差したのが、ご覧の果てしない景色・・・ 

アフリカ人のように視力が5.0位あれば、青い屋根どころか、青い屋根で羽を休めている黒いカラスの顔色まで伺えるのでしょうが (笑)、残念ながら、僕はソコまで視力がよくない・・・

仕方なく、指差された方向へと180SSで走って行ったのですが、全く分からない !! 住宅街で迷うのならまだしも、見渡す限り畑の中で迷うのはマジ辛い・・・ まさにリアルロールプレイングさながら、頭を抱えてしまいました・・・

そんな中、運が良い事に、ここでもまた農作業をされている “おば〜ちゃんB” に遭遇 (写真参照) 、早速 『青い屋根の保育所と木造校舎』 の事を聞いてみたところ、『そりゃ〜 この先、すぐの道を行き、細い路地を左に行きんさい (広島弁)』 と、いとも簡単に教えて下さいました。

いや〜 田舎の老人は “シャキ” っとしていて記憶力も良く、何とも頼もしい限りですな〜。



上の写真 “おば〜ちゃんB” の言われたとおりの道順に行くと、いとも簡単に 『木造校舎』 へと到着しました。本当に保育所の “まん前” だったので、ちょっとビックリ ! ! (笑)。

で、よく見てみると、手前は比較的新しい建物なので、どうやら、奥の方の建物が、以前、『下黒瀬小学校』 として使用されていた物のようです。

早速、『180SS』 を停めて、カメラ片手に撮影に向かったのですが、保育所がすぐ横にあるので、不審者と間違われたらどうしよう ? って、小心者の僕は、少々ビビりました (苦笑) 。



僕が訪れたのは1月の末・・・ 建物の周りには、結構、残雪がありました。

『公民館の分館』 の内部を覗いて見たところ、いかにも廊下らしい造りと教室の間取りが見て取れました。特に窓枠は木のままのオリジナルが残っており、温かみがあってイイ感じです。この様子を見る限り、以前は小学校として使用されていた可能性が大ですね。



木造校舎』 のすぐ横にある 『忠魂碑』 です。詳しい事は何も記されていなかったのですが、学校にあるという事は、戦争で亡くなった生徒さん達の 『忠魂碑』 かもしれません。

いずれにせよ、英霊を祀る為の物ですから、気が引き締まる思いがしました。


校舎の横には少しスペースがあり、表へと抜ける事が出来ました。この頃になると、少し日が指す事もありました。

で、この横のスペースにはいくつか木が植えてあったのですが、その中で、珍しい 『白い南天』 を発見しました。元々、赤い実が定番ですが、まれに白い実を付ける事があるそうです。かなり昔から日本人にはお馴染みの花 (木 ? ) で、江戸時代から親しまれている 『古典園芸植物』 ですね。

やはり、『南天』 = 『難を転ずる』 と言った、日本人好みのゴロ合わせの良さが、今まで親しまれて来た大きな理由と言えます。

この木造校舎が解体 (=難) から免れたのは、この白い南天があったからかも ? しれませんね (微笑)。