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『上蒲刈島』 へ行くには、ふたつの橋を渡る必要があります。まず、ひとつ目は
『安芸灘大橋』 です。この写真は料金所の手前での一枚・・・
何をしているのか ?
って・・・小銭をポッケから出しているに決まってるでしょ (バイク乗りには分かる光景・笑)。まずこの 『安芸灘大橋』
を渡り、『下蒲刈島』
に入るところからスタートです。
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『安芸灘大橋 』を下りて、スグの左側に、硬くて反り起った、勢いのあるオブジェを発見!
『VESPA』
のスピードがのっていたので、思わず行き過ぎていまいそうになりましたが、あわてて急停車しました
(苦笑)。
『生(なま』 と書いてありました。
『生が一番!』 島の景色は教えてくれます。 ちなみの赤い丸が 『VESPA』
です。立派なブラザー並のオブジェと言う事がお分かり頂けると思います。
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『生』
オブジェの前は、海と橋が見渡せるポイントです。 眺めの方ははまずまずです。
人の通りが少ないので、“色々”
な撮影が楽しめますよ
!
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『蒲刈大橋』 手前での一枚です・・・ 『安芸灘大橋』
に比べ、なかなかビンテージ感のある渋い橋です。 それもそのハズ、『完成は1979年』
との事です。でも、デザインがキレイなので、時を経ても全くダサくないのが不思議なところ・・・やはり橋を製作する日本の技術者の能力の高さには脱帽です。 こう言った、『未来まで残る仕事』
が出来る人達を羨ましく思います。
VSHのヨタ話B 『未来に残る仕事』 と言えば、『VSHのヨタ@』 にも登場した
『コンドーム』 の生みの親、イギリス人産婦人科医 『Dr. CONDOM』
さんの事にふれずにはいられまい(笑)。
世の中、開発者の名前が商品に付き、そのイメージが括弧として生き続けている物が数多く存在します。 有名なところでは
『『フェラーリ』 とか
『ポルシェ』 とかです。
(*
フェラーリ創始者=エンツォ・フェラーリ氏 1898年-1988年 * ポルシェの創始者=フェルディナンド・ポルシェ氏
1875年-1951年)
例えば、仮に名字が 『フェラーリ』
さんと言う人と知り合った場合、全く関係の無い同名の人だとしても、聞いた方は強くあの 『イタリアの跳ね馬』
を思い浮かべると思います。それ程、名前の印象とは非常に強く、我々の中にスリ込まれています。
そう考えて見た場合、もしも
『駅前留学』 した時の外国人教師が 『コンドーム』 先生だったらどうします ? 普通は
“コッ恥ズカくて”名前なんて呼べないと思いませんか ?
とは言え、この 『Dr. CONDOM』
さん・・・彼が開発者としては完全に特定された訳ではなく、そうではないか ?
と言われているだけで、そうだとしたら、永遠に名誉ある冤罪をかけられたような感じ ? ですね (笑)
。
余談ですが、『コンドーム』 自体、開発国の 『イギリス』 では 『大ブレイク !
』 ほどなく、『ヨーロッパ』 へと広がって行きました。その為、『フランス』 では 『キャポ・アングレス= イギリスの帽子』
と言うスラングで呼ばれていたそうです。この呼び方は、かの有名な 『カザノヴァ回想録』
にも登場して来ますよ。
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2004年に公開された映画 『海猿』 は社会現象になる程のヒットを記録しましたね。 この事はみなさんの記憶にも新しいところだと思います。その後、シリーズのドラマ化、第2作の 『LIMIT OF LOVE』 まで、常に我々の心をとらえては離さない程、素晴らしい内容の物でした。
この映画 『海猿』 は、僕の住んでいる 『呉市』 でロケがあった為、一段と親近感が湧くのは当然の事ですが、
『海猿』 シリーズのヒットには、『伊藤英明』 さん、『加藤あい』 さん、『伊藤淳史』
さんらの素晴らしいキャスティング、それに、今まで題材にならなかった 『海上保安庁』
と言う、ちょっと男クサイけど、タフで格好イイ職業を作品のテーマにした、先見の目があった事は言うまでもありません。
さらに、この映画をガッチリとサポートしていたのは、我が
『呉市』 の旧軍港ならではの港町のイカしたロケーションだった訳ですから、映画がヒットしない訳がない (笑)。 映画 『海猿』
の中では、日頃、慣れ親しんだ自分の育った町が随所に出て来て、それだけでも、この映画を何倍も楽しいモノにしてくれました。
今回はその映画
『海猿』 の中で、もっとも印象的なシーンと言える、『大輔と環菜』 が初めてバスの中でキスをした、『原トンネル』 がある 『上蒲刈島』
をご紹介します。 今回の相棒は 『1969年型 VESPA SPRINT-150』 です。
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『普通車』 は何と一回の通行料が 『\700』 !、『軽自動車』 でも 『\550』
もします。通勤の場合、単純計算しても、この2倍ですからね! 決して安いとは言えません・・・
それでも、島に在住の人にはスズメの涙ほどの割り引きがあるそうですが、結局、月換算にすと、出費はバカにならないとの事。 本土に渡って、わずか数分の場所に勤務している友人も、この橋の通行料には困っていると、ボヤいていました。他にも10人くらいの友人に意見を聞いたところ、前記のとおり、『高い』
『高過ぎる』
との回答ばかりでした。
これらの意見は僕の憶測ではなく、実際の意見なので、仕方がないです。もし、自分が普通車で通勤した場合、毎日通行料を往復で
『\1,400 (割引適応が無い場合) 』
も払わされた場合、同じ意見になると思います。皆さんはどう思われますか?
チンピラ銀行や第3セクターに僕らの血税を注ぎ込む愚作を行うくらいなら、島の人の生活に直結した、橋の通行料の事を、もう少し考慮してもバチは当たらないと思いますが・・・ と言うわけで、スペースがなくなったので、橋の詳細はカット致します。通行料が安くなって、島の人みんなに重宝されたら、その時改めて・・・(笑)。
| ところで、これも余談になりますが、『蒲刈島』
に住んでいる友人いわく、橋の通行料が異常に高いので、ここ数年、島を出る人が、後を絶たないとの事です。典型的なストロー現象
(橋が出来たばかりに、島から人口が流出する事)
が起きている島のようです。
それでも、生活の基盤を島内に置いている人は、離島する訳にはいかないので、多くの場合、橋を渡った本土側に駐車場を借りて、車では橋を渡らない努力をしているそうです。
そのクセ、この島は色々と無理に観光地化している手合いがあります。僕らのような本土側から見た者の意見としては、島民の生活より、本土から来る観光客を優先して、利権が一部の限られた場所だけに落ちればオッケー!
そんな日本古来の官&民の癒着構造が見え隠れして、大変に社会勉強が出来ます。
僕も一生のウチで、一度でいいから、利権の甘い汁を吸ってみたいと切望しています。『蒲刈島』
の言わんとする事はストレートでイイ! 『橋の料金が高けりゃ渡るな ! 』、『イヤなら引っ越せ ! 』
と言った雰囲気がよくよく感じ取れます。
もっと今風に解釈すれば、
お金持ちはいっそうお金持ちに、貧乏な奴はいっそう貧乏に・・こらからの時代はきちんとカテゴリーに分けて生きていくのが正しい!『貧乏人は麦を食え !
』、『橋が高けりゃ渡んなよ ! 』 ・・・そう言った、21世紀の真の日本人の生き方を、この 『安芸灘大橋有料道路』 の 『料金形態』
は、我々に説き伏せてくれます。本当に勉強になりました・・・『アリガトウ安芸灘大橋 ! 』
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今回の目的地 『上蒲刈島』 に行く為には、『安芸灘大橋』 下りて、ほんの2〜3分だけ
『下蒲刈島』 を走行後、すぐにふたつ目の橋 『蒲刈大橋』 へと入ります。こちらの橋は無料です。 VSHのある 『呉市』 と今回訪れた 『上蒲刈町』
の位置関係を地図でご覧下さい。『VESPA』
でも30分程度で島まで到着します。
| さて、正直、あまりコレと言った観光スポットの無い島の為、ヨタ話が多くなり、本題から少々ソレてしまい恐縮です・・・ ただ、釣りを楽しむとか、海水浴に来る等の、海のレジャーには最適です。
とは言え、瀬戸内の島はどこも同じようにキレイな場所が多いので、わざわざ、『安芸灘大橋』
の 『バカ高い通行料』 を払うなら、近郊で同じような海のレジャーが堪能出来ると思います。なので、『蒲刈島』
に確実な用事が無いのなら、別段、来島する事もないようには思います。
ですが、前記しましたとおり、映画 『海猿』
のロケ地に抜擢された場所が何ヶ所があります。 どの映画のロケ地でも言える事ですが、プロと言うのはどの業種もスゴイ物で、『え〜 !
この場所で、あの映像が ? 』 って感じになると思います。
『え〜 ! 』 = 『驚くか』 『少しがっかりするか? 』 『感動するか
? 』 個人差があるとは思いますが、決して悪い気はしないと思いますよ。 そんな感じの場所なので、『海猿』 の 『ロケ地詣で』
をしたい方には、オススメかとは思います。
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こちらの写真は映画 『海猿』 の中で、『大輔と環菜』 がバスの中で初めてキスするシーンで登場した
『原トンネル』 です。この次のページで詳しく紹介しています。是非、ご覧下さい
!
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つづく→
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遠くから 『安芸灘大橋』
を見て頂くとお分かり頂けると思いますが、橋の中程を基点に、左右が傾斜しています。車で通った時には、そんなに気にはなりませんでしたが、『VESPA』
で走行した場合、坂を登ってるかのごとくの急勾配です。
写真は水平に構えてシャッターを切ったモノです。 (ホントは橋で停止すると危ないですよ・・・)
かなりの登り坂になっている事がお分かり頂けると思います。しかも、結構な強風です。橋の中程に展望用のパーキングエリア等が無い事に納得しました。
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その対面には、『ゴム』
のオブジェが・・あればいいな・・・と思います(笑)。
シャレが分かる方、心の広い方、抽象的なアートを独自の個性ある判断で解釈出来る人だけ見て下さい。 VSHのヨタ話@ 『コンドーム』
の歴史は以外と古く、諸説によると、紀元前1000年頃のエジプトにまでさかのぼるそうです。 当時は魚の浮き袋を、男性自身にかぶせ、『コンドーム』
のような役割をさせていたそうです。ただ、これはかなりのマユツバ物 !
文献がある物でもなく、当然、見た人がいる訳でもありませんから・・・
文献上、正式に 『コンドーム』
が、歴史の表舞台にデビューしたは、16性器、イヤイヤ16世紀に入ってからの事
(笑)・・・ 1532年、『ヨーロッパで大ブレイク』 した 『梅毒』
の予防策として、性行為後の洗浄と調合薬に浸した布切れの使用が、大々的に推奨されたそうです。この布切れこそ、『コンドーム』
の元と言われています。 何もそこまでしてエッチをしなくても・・・とも思いますが、気持ちはよく理解出来ますよ (笑)
。
でも当時は 『新しいペスト』 とも呼ばれる程、恐ろしい病で、『エッチ=確実に死です』 (怖い・・・)。
なのに、広まる一方だった為、『快楽の疫病』
って言う、チョイト粋な呼び方もされていたそうです。
また、『コンドーム』
とは、考案したイギリス人産婦人科医 『Dr. CONDOM』 さんから取ったと言う物が有力なようですが、ラテン語の
『CONDUS=貯蔵所、容器、避難所』
から来ていると言う、かなりもっともらしい言われもあります。
知らなかった方、是非あなたのトリビアに !
次のデートの際、彼女の目の前に 『コンドーム』 を出す口実になりますよ
(笑)。
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『安芸灘大橋』 を下りて、少し走ると・・・ 『メェ〜』 の声が聞こえて来ました。 その方向を見てビックリ ! 道路の横のもの凄く目立つ小高い丘の上に 『ヤギ』
がいました。
意味不明の光景ですが、なぜか、ちょっと感動 !
VSHのヨタ話A 『コンドーム』 発明の大元となった 『梅毒』 は、1492年〜1493年にかけて行われた
『コロンブス』 の 『第一回大西洋横断航海』・・・分かり易く言えば 『アメリカ大陸発見の冒険航海』 の際、『バハマ諸島』
のお姉さん達とエッチした事により、感染した船員達が 『ヨーロッパ大陸』
に持ち込んだと言う説が、今だに有力です。
その船員達の多くが、ヨーロッパに帰港後、かの有名な 『ナポリ戦争』 に傭兵として参戦 。 (ナポリ戦争=1494年〜1498年までの間、『フランス王のシャルル8世』 が 『ナポリの王位』 を要求、
『ナポリ』 を包囲して攻撃しまくりましたが、結局、陥落できずに撤退・・・)
この時、5年にも渡り、『ナポリ』 を包囲していた 『フランス軍兵士』 が 『コロンブスの船員』
から 『梅毒』 を感染 (うつ) され放題 ! 一気に 『ナポリ』 で 『梅毒』 が大ブレイク !
さらに
『ナポリ』 から 『フランス』 へ帰還した兵士を介して、すでに 『ナポリ攻撃中』 の 『1497年』 には 『フランス全土』
はもとより、『イギリス』 をも含める 『ヨーロッパ』 の国々に 『梅毒』
が飛び火していたと言います。
基本的に、『梅毒』 はエッチ以外では感染しません ! ・・・『コロンブス』
が帰港してからわずか5年もしない間に、SEXのみを介して、ヨーロッパ中に広がるとはスゴイ !
今のようにインターネットも24時間営業のお店も無く、ましてや日が沈むと灯りが無い時代・・・他にやる事が無かったとは言え、正に
『リアル版・呪いのチェーンメ−ル』 ・・・
いつの時代も 『自分だけは大丈夫 !』 そう言った人間心理が、この
『快楽の疫病』 の蔓延を広げたのでしょうね。
ちなみにコレも都市伝説の域を出ない話ですが、『コロンブスの船員』
が航海中、ガマンできなくなって、食料用のヤギとエッチをして、『梅毒を発症』
したと言う、コレまた妙にリアルな話も聞いた事があります。写真のヤギを見る限り、僕自身、興奮するポイントはありませんが・・・
世の中、色々な趣味な人がいますから、否定は出来ません・・
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