●小ネタ(2)
マイナスイオンが出る謎の山寺
ここが市街地から本当に3分の場所なの?って思える程の静観な場所です。ぐるりと360度が山、山、山・・・無理とは思いますが、こんな山の中でレストアしてみたいな〜って思いました。しかも最寄りのコンビニまで約5分!便利かつ静かで羨ましい限りです。
写真からもマイナスイオンが出まくっているって感じがしませんか?(笑)



こちらエントランスです。お寺なのに神社の鳥居を彷彿とされる造りに圧倒されました、ましてやこの重厚な扉に『この向こうに本当に行っても良いモノだろうか・・・』って、少し不安にもなります。山の中の静けさは無言の恐怖で迫って来ます・・・





こちらには、『水かけ不動』『水かけ地蔵』『水かけ子育て地蔵』の三体が奉納されています。水にまつわるものばかりと言う訳です。
こちらは色がポップではなく、石仏の見慣れた外観で、大変に厳かなお顔をしていらっしゃいます。



『出世地蔵』です。
この名前を聞くと僕は商人の街、『道頓堀』の『出世地蔵』を思い出します。
この『出世地蔵』こそ、想像力とバイタリティー満点、そして商魂たくましい反面、人情深い街、『大阪』ならではのお地蔵さんと言っても過言ではないと思います。

このお地蔵さんの由来はとても古く、お話は元和元年(1615年)に『道頓堀川』が生まれた時にまでさかのぼります。
川の近くに文明が発達する・・・コレは『世界四大文明』も『道頓堀』も同じで、僕的にはこの『道頓堀』も『メソポタミア文明』も『エジプト文明』も『インダス文明』も『黄河文明』も同じだと考えています(笑)ですから、僕の心の中では、これらを称して
『新・世界五大文明』と呼んではいるのですが・・・

お話が脱線しましたね・・・『道頓堀川』を中心にどんどん発展を遂げたこの街は、それに伴いそこに集まる人達によって、出世をお願いしてお参りする地蔵尊が生まれました。
当然の事ながら、この地蔵尊は『一発狙い屋』が多い難波人のベンチャー魂を長年に渡り支えて来たのは言うまでもありません。
ところが、昭和20年に鬼畜のアメリカ人の大空襲に会い、道頓堀周辺は焼け野原に・・・
本当にアメリカ人はバカで進化しない民族なようで、人殺しとSEX以外は興味がないのでしょうか?50年以上も前に日本で行った事を今またイラクでやっていますよ(苦笑)
『アメリカが正しい』『アメリカが正義』と言う、歪んだ『大義名分』の下、今日も世界中で罪のない人が殺されています。
特に『スミソニアン』で我が広島に爆弾を落とした『エノラゲイ』を展示した時など、もうあきれて言葉も出ませんでしたね・・・一方的にアメリカを賞賛する展示内容ばかりで、今もなお広島や長崎で苦しんでいる原爆被害者の事を考えた配慮のある展示なんてしていなかったでしょ!これが“自称”世界のリーダー『アメリカ』の姿かと思うと、悲しくなりますね・・・
おっとっと、またまた話が脱線しました・・・
『出世地蔵』の話に戻りますね。

結局、前出の鬼畜のアメリカ人の手により、道頓堀周辺も徹底的に焼け野原にされてしまい、当然の事ながら地蔵尊も無くなってしまいました・・・
ところが、終戦後、数年経ったある日、無くなったハズの地蔵尊が土の中から現れたのです!奇跡としか言いようの無いこの出来事に、『地蔵尊』は新しく『出世地蔵尊』と命名された上、現在の地(道頓堀)に祀られたそうです。
そして、この『出世地蔵』は今もご利益あると、大変に評判が高く、日々お参りする人が後を絶たないとの事・・・
サスガ、商人(あきんど)の街、大阪!出世の神様のヒストリーも、他の追随を許しませんね。素敵です!





僕が訪れたのはサクラの時期・・・
満開を少し通り過ぎて、そろそろサクラの演舞も終演を迎えつつありました。
『青空』『散り行くサクラ』『役目を終えた花びら達』・・・
たった一人で訪れた山の中・・・何だか、少し悲しい気分になってしまいます。



この像は『龍王』です。これまたポップなカラーリングで楽しませてくれます。
『お釈迦様』が降誕時には、2匹の『龍王』が空中から浄水を注いだと言われています。
背中に乗っているのは『不動明王』の使者で『八大金剛童子』です。
神様の間もなかなか複雑なようで、A神の使者がB神・・・で、そのB神の使者がC神と、
何だかサラリーマン社会のように縦社会になっているようですね。
ここで『龍王』に乗っている『八王金剛童子』の上司は『不動明王』でしょ、その『不動明王』の上司は確か『大日如来様』だったはず・・・どこもみんな複雑なんですね・・・


 さて、小ネタの第2弾は山寺です。唐突でしょ(笑)
山寺とは言っても、僕の住んでいる呉市内から車でわずか3分足らずの場所で、とても市街地とは思えないようなロケーションとマイナスイオンが溢れている静かで癒される場所なのです。
お寺の方にご迷惑がかかるとイケないので、名前は公に出来ませんが、仮に『G寺』とさせて頂きます。しかし、写真をご覧頂くだけで、このお寺の凄さがお分かり頂けると思います。


入り口付近には『仁王』が鎮座しています。何も知らずに山の中でコレを見つけたら、少しビックリです。しかもこのカラーリングに注目!僕が今まで見て来た『仁王』は木彫りの物が殆どで、どちらかと言えば純和風な物ばかりでした。しかしここの『仁王』はポップにカラーリングされ、さながら、僕の大好きなスペインの芸術家『ミロ』っぽい雰囲気が漂っていました(笑)この作風は『G寺』に奉納されている全ての仏像に言える事で、少々驚かされてしまいました。
ここで『仁王』について少々お話しましょう・・・
基本的にお寺の山門に祀られています、このお姿は皆さんもよくご存知だと思います。
正式なお名前は『金剛力士』と言い、左右の二体は元々同体なのです。
よく見る二体のお姿はいわば分身系と言う訳・・・
口を開けられいるお姿が阿形(あぎょう)、口を閉じられているお姿が吽形(うんぎょう)と言われています。よく聞く『阿吽(あうん)の呼吸』(息が合っている意味)って言う表現はココから来ている訳です。
通常は向かって右側に口が開いた阿形(あぎょう)像が来て、左側には口を閉じた吽形(うんぎょう)像が来るのが定番ですが、この『G寺』はその配置が左右反対になっています。
不思議でしょ?
もっとも、日本で一番有名な『仁王』は『東大寺法華堂南大門』にある
『運慶』が製作した『仁王』だと思いますが、何と、この運慶作の仁王像が、
どう言う訳だか、この『G寺』と同じく阿形(あぎょう)像と吽形(うんぎょう)像の配置が左右反対になって奉納されているのです。
もしかしたら、『G寺』の『仁王』を製作した人は『運慶』の配列を真似たのかも?しれませんね・・・と、仏像好きの僕は深く考えてしまいました。

 何が1番凄いかって?
色々な仏像が奉納されており、驚く事にこれらは信心深いこのお寺の方が製作されているようなのです。その数は十数点にものぼり、馴染み深い『仁王』や『風神』は勿論の事、
『聖徳太子』の仏像まであり、見る者に『何で?コレがここにあるの?』って、心地の良い違和感を与えてくれています。また、それらは全てユーモラスな雰囲気をかもし出し、見るものを存分に楽しませてくれています。

事実、ローカルのTV局に出たり、雑誌にも紹介された事がある、なかなか有名な場所のよう・・・『知っている人は知っている』という、穴場的な魅力満載!しかも市の中心部からわずか3分!コレはマイナスイオンを体感しに行かないテはないですぞ。

さて、肝心のお寺の話に入りますね。
昼なお暗い場所で、市街地とは言え、ひとりで行くのが少し怖いくらいに静かな場所です。時おり遠くから聞こえる『ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトン』って言う、陸橋を渡る電車の音が、まるで、昔見た映画の中にタイムスリップしたかのような、少し心地の良い恐怖感を与えてくれます。

そんなこの『G寺』ですが、まずは、入り口前で『仁王』が迎えてくれます。
そして少し歩いて山を登って行くと、ほどなくして狭い石段があり、その場所には観光地ばりの案内看板とローマ字で書かれたお寺の看板があります。
何でもありのこの感覚、ある意味、スタイルにとらわれない所に僕は大いに好感を持ってしまいました。
さて、そのまま急な坂の石段を登り、鳥居を配した日本庭園ばりの豪華な木の扉を押し開けると、いよいよ『G寺』の寺院内に入る訳ですが、いきなり『閻魔大王』が鎮座し、間髪入れずに『水子地蔵』と・・・・盆と正月がいきなり一緒に来たような、のっけからトップギアのお寺さんですが、見て楽しむと言う点では申し分はなく、各仏像には丁寧な説明が書かれている為、思わず『へぇ〜』状態になる事間違いなし!
全部見ても1時間位あれば全て見学出来るのではないでしょうか?

コレは忙しいあなたにも最適かも?特に呉市内の方は・・・(笑)
お昼休みにマイナスイオンを体感しながら仏像を見るなんて、ゴージャスじゃありませんか!勿論、ここにご紹介した仏像はほんの一部で、実際にはこの3倍の数の仏像が奉納してあります。
こればかりは実際に足を運んで見て頂きたいと思います。
いかがでしたか?他県の方も、我が呉市の誇るコノ素敵なお寺を是非見に来て下さい。
その際はスクーターズ・カフェにお立ち寄りになる事もお忘れなく。(笑)





ちょっと薄いですが、『大仏様』です。
僕が訪れたのはサクラの時期、後ろで咲き誇るサクラと見比べて下さい。
この『大仏様』、結構大きいのがお分かり頂けると思います。
でも、前から見ると立派なのですが、横から見ると本当に薄い『大仏様』で、
まるで『せんべい』のようです。
勿論、前出の『仁王』に負けず劣らずポップな仕上げで、ガングロにパッキンのパンチパーマが泣かせます。渋すぎます!演歌の大御所を思い出します。
通常良く見る『大仏様』はあぐらをかいて、両手を前で組んだ、いわゆるアニメの『一休さん』とかに出てくる座禅のスタイルの物ですが、ここ『G寺』の『大仏様』は左手にチェーン、右手には棒を持ち、からし色の衣をまとった、ちょっと遊び人風なのが好感を持てますね(笑)
とは言え、コノ左手のチェーンを紐に、右手の棒を剣に見立ててみたらどうでしょう・・・もしかしたら、この『大仏様』は『不動明王』ではないかな?って思ってしまいました。
ここで少しだけ『不動明王』についてもお話しましょう・・・
またの名を『不動使者』とも言い『五大明王』『八大明王』の主尊『大日如来様』に仕える使者で、現在よく見られる物は『真言密教』『円珍』の頃から偶像崇拝物として広く伝わった物の完成形だそうです。当時から大変に人気のある神様で、その為、ピン(独立)で信仰されるようになりました。

何だか音楽業界と似ていますね・・・例えば、仮に『大日如来バンド』って言う人気グループがあるとしましょう、そうですね、もっと分かり易く言えば、このバンドをUKの伝説バンド『JAM』に例えてみましょう。
『JAM』で人気があったのは『ポールウェラー』・・・では『大日如来バンド』で人気があったのは?っ言うと、答えは簡単ですね、『不動明王』って言う事になる訳です。
個人で人気が出れば、無理にグループで活動する必要はありません。
活動費も個人で動いた方が安上がりですし、印税だって独り占め!
実力さえあれば、徒党を組まなくてもピン(1人)でやって行けるって言う、
まさしく『勇気』を『不動明王』は僕たちに教えてくれています。
『お前アホか?』『解釈が間違っとるぞ!』って思っているでしょ?あくまでも物の例えですよ〜・・・・何でも良いように解釈した方が幸せでしょ!

もっとも『不動明王』は本当に実力のある神様で、
『厄除け』や『災難除去』、『開運吉祥』と良い事ずくめの使者と言うのが本来の姿なのです。いかがですか、古くから人気のある神様って言う意味がお分かり頂けましたか?
また、奉納されている物の中でも『三井寺の黄不動』『高野山の赤不動』『青蓮院の青不動』等は超有名!古くから赤や青など、派手な色を配した物が多いのは、厄除けの神様として、邪悪な物を払いのける強いイメージを『不動明王』に求めたものかも?しれませんね。



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こちらはエントランス?までの長い石階段です。ここを登りきるとようやくエントランスに到着します。竹やぶと木漏れ日が泣かせます。この急な階段に最近、運動不足の僕は多少息が切れました・・・


エントランスを入っていきなり現れるのが『閻魔大王』です。ここ『G寺』では『焔摩天』と紹介されたボードがありました。
『閻魔大王』と呼ばす『焔摩天』と呼ぶのは元来『密教』ならではの呼び名だそうです。
その『密教』では、十二天の一人で、南方を守るとされています。
そもそも『閻魔大王』はかの有名なインドのヴェーダ神の一人だったのですが、人類最初の死者として天上の楽土に住んで祖霊を支配し、その後、下界の支配する死の神=地獄の王様になったと言われています。

子供の頃によく言われませんでしたか?『嘘をつくと閻魔様に舌をひっこ抜かれるゾ』ってね(笑)すなわち、閻魔帳なるものを紐とき、生きている時の悪事の裁判を受けさせ、制裁を加えるっていう言い伝えは誰もが聞いた事のあるお話・・・
元々この言い伝えは、インドから地蔵信仰などと共に中国に伝わって道教と習合した『閻魔十王』なる地獄の使者の言い伝えが、長い年月をかけて日本に入って来たモノだそうです。驚く事に、この独自の道教が唱える冥界思想は、唐代末頃までさかのぼるそうですよ。

それによると、人は死後七日ごと(七日〜七十七日の間)そして、その後は百日、
一年、三年と合計十回、死者になってから、生前の善行・悪行を裁判(変な僕なりの表現でゴメンなさいね)にかけられ、最終的にその死者のいくべき世界を定められるものとされているそうです。当然、これらを裁くのが前出の『閻魔十王』なる地獄の神々の訳です。
ですから、人が亡くなってからも、七のつく日にちに法要を上げるのではないでしょうか?
(勝手に判断してゴメンなさい、そうじゃないのかな?って思います・・・)
事実、初七日(しょなのか)や四十九日(しじゅうくんち)は良く聞く言葉だと思います。
また、それらの各日には死者を裁く地獄の神々が決められており、死後七日目(初七日)ならば『泰広王』、死後四十九日目(しじゅうくんち)ならば『太山王(泰山王)』とされています。これらの道教や密教にご興味のある方は、図書館とかで古い書物を紐とかれて見るのも新しい発見になるかも?しれませんよ。結構面白いですよ!
あっ!、そうそう書き忘れましたが、『閻魔十王』は人を裁くのが本業ではなく、本当の役目は裁いた後に、人々を救う事が本来の目的なのです。慈悲深き神々でもあるという事をお忘れなく。



『毘沙門天』です。
こちらもまたまたポップな彩りを見せています。
『毘沙門天』とは仏法を守護する四人の守護神の一人で、一般的にこの四人の神々は
『四天王』と呼ばれています。この呼び名の方がポピュラーかも?しれませんね。
ちなみに『毘沙門天』は北方を守る守護神で、他の『四天王』は、南方に『増長天』
東方に『特国天』西方に『広目天』となります。
基本的に中央にある御本尊を守護する形で上記のような方位で配するのが主な奉り方とされています。
もっとも『毘沙門天』=七福神の神様の中の一神としての方が有名ですよね!


『G寺』のエントランス付近にある案内看板です。
お寺と言うより、アミューズメントっぽい雰囲気があり、何だかワクワク気分が高まって来ませんか?


こちらの像は『聖徳太子』です。
ご他聞にもれず、ポップなカラーで演出されています(笑)
お生まれになったのが、574年(敏達3年)と、天文学的に昔なのに、なぜが親しみのある『聖徳太子』、もしかしたら、僕が子供の頃に『一万円』に印刷されていたからでしょうか?(笑)紙のお金のフラッグシップ=『聖徳太子』って言うイメージが、今でも強烈に残っているのは僕だけじゃないハズ・・・特に僕より年配の40代から上の世代の方々には、本当に馴染み深いモノだったのではないでしょうか?
社会の時間に習った事の受け売りのようで恐縮ですが、『聖徳太子』と言えば・・・『冠位十二階』と『憲法十七条』の制定、それに『遣隋使〜小野妹子』の派遣程度しか記憶に無いのが事実です。本当に恐縮です・・・


このエリアは『お釈迦様』が降誕時に2匹の『龍王』が現れた・・・と言う伝説を再現しようとしているのでしょうか?ポップに仕上げられ『八大金剛童子』が乗った完成形の『龍王』の真向かいには、『製作中の龍王』がありました。これからカラーリングを施されるのでしょうか?僕はこのままソリッドな方が渋くて好きなのですが・・・皆さんはどう思われますか?